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「放送禁止歌」森達也/監修デーブ・スペクター(解放出版社)

◆ほんとうの「本」って…

 私は実はあんまり新刊とかに興味がなくて、本屋もあんまりよく見ない。おもしろい本が少ないというのが理由なんだけど、先日待ち合わせをしたジュンク堂の新刊コーナーを見て、あれ?と訝しく思ったことがある。妙に新刊本が多いのである。しかもクズ本ばかり。

 昨今は新書が流行してるらしく、各社出そろって新書がやたら多い。昔はイワナミ新書といえば学術的な感じがしたのに、今や永六輔だよ。いや、永六輔がクズ本なのではない。新書はまだましなのだ。高尚な感じはなくなったけど、それはむしろ好ましい。

 ひどいのは単行本のエッセイや小説や、その他なんだかわけのわからない本。ほんとに紙のムダとしか思えない本ばかりがジュンク堂の棚の中にぎっしりで、えー何これ?と思ってしまった。エラソーなことを言うつもりはなくて、ほんとにこれは、1年もこの棚には存在しないだろうなと思えるようなもの、末代には決して残らないだろうなという本ばかり。これらの大量の本は「消耗品」でしかない、という印象を強く受けたのだ。

 そういう疑問はこの間読んだ佐野眞一の「誰が本を殺すのか」で氷解した。出版業界ってそこまでヤバいのか。

 その中でこの「放送禁止歌」は、ああ本を読むってこういう感じだったよなあ、となつかしい気持ちにさえさせてくれる良書だった。私もマイノリティのひとりとして、泣いてしまいました。身体障害者が書いた本でさえ、何か「仕組んでるなあ」と思わせられる昨今にあって、これは貴重だよ。

 著者はちょっと直情的というか、思い込みが強いという気もするんだけど、それがまた「ああ本ってこういうものだったよ」とノスタルじじいにさせてくれる。今は何でも荒っぽさを排除しすぎて、何もかもが面白くなくなってるのだと思う。ミニマリストにならざるを得ないんだ、そうなると。今は音楽でも小説でもマンガでも何でもそうで、だから面白くないものばかり。

 解放出版社から出てるというのは、本書の内容からいえば、取材はしやすかっただろうし、有用な点が多かったと思う。だけどこの本、どれだけの人の目に留まるんだろう。「消耗品」にはならないでほしい。できるなら、大出版社から文庫化でもされて、少しでもたくさん読まれたらいいのに。でなきゃもったいない。あ、そうか、大出版社って、終わってるんだったなあ…。今は残って欲しい本は、中堅出版社から出した方がいいのかもね。

 往年の「放送禁止歌」歌手に取材を申し込んでも固く断られたり、それらの曲を今では絶対に演奏しないというのはどういうことなんだろう。そういえばボブ・ディランも「風に吹かれて」は絶対に演奏しないだろうしなあ。時代と共にあるプロテストソングの宿命なのだろうか。

(2007年4月追記)
 2003年、光文社知恵の森文庫から文庫化されました。

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