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花猫がゆく

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「隠蔽された障害〜マンガ家・山田花子と非言語性LD」石川元(岩波書店)

◆確信犯じゃなかった

 心理学の本って占いの本みたい。患者に書かせた絵を見せて「絵の中の父親は右手を後ろにまわしている。それを見て私は『読めた!』と思った。これは父の暴力への恐れの表れなのだ!」とか。そんな誰でもできるような絵解きして「読めた!」と思っても、患者のためにはならんと思うけどなあ。

 しかし詳細な山田花子ルポはやはり鬼気迫るものがあった。精神分裂病ってすごい病気だ。いきなり親の前で裸になったり、朝起きて台所で小便したりするらしい。鬱病でもそうなのだが、病気が快方に向かいかけた時が一番自殺しやすい時だと聞いたことがある。山田花子は退院したその日に自殺したそうだ。

 心理学の話よりも、日記を含めた山田花子ルポと、周囲の人たちの話を書いた部分が面白いし、彼女の病理がよくわかる。まわりの人と合わない、協調性がない、繊細すぎて普通の生活ができない、でも感受性はものすごく鋭い、といった人がアートの分野で成功するというのはよくある話。だが山田花子の場合、ユートピアだったマンガの世界でも普通の世界同様にうまくいかなかった。

 一時は「ちばてつや賞」(著者の高校の先輩だという呉智英が「マンガ界の芥川賞か直木賞のようなもの」と言ったらしい)まで取って、大メジャーのヤンマガに連載していたものの、「普通のオチがない」という理由で若い男の編集者と軋轢が起こる(のちにこの編集者に対して連日無言電話をしたり、セクハラされたと言いふらしたりする)。

 それじゃアート系作家としてガロに専念したらいいじゃん、と思うが、これもできない。「もったいない気がして断れない」のだ。ここで花子嬢の憧れの人だった根本敬が言ったらしい。「俺にはヤンマガからなんて依頼は来ない。そんないい仕事、やらなきゃ損」

 山田花子は根本敬や大槻ケンヂが大好きだったそうだ。しかも彼らは確信犯的にあの作風というか芸風をやっているしたたか者なのに、花子嬢はあれが彼らの本質そのものだと思っていたらしい。花子嬢は自分が自分そのものしか表現できないから、他人がそうじゃないという発想がなかった。「人間の醜さ、汚さ、いやらしさなどをはっきり描ける根本さんや丸尾さんのような作家を尊敬して」いたという。

 山田花子がもし生きていたら、多分そのマンガは好きじゃなかったと思う。皮肉だけど、死んでしまったからこそ、マンガも含めた人生そのものが作品になってしまった。「本当に純粋だった」とか言われて。あのマンガは確信犯でも戦略でもなかったんだ、と。

 日本の音楽業界では若い女が確信犯として、戦略として「傷」や「障害」のようなものを利用するのが大流行だ(しかも必ず美人というのが相当アヤシイと私は思っている。吉本の山田花子みたいな人が歌ってたら信用するけどさ)。山田花子はそうでなかったんだなあ。死んで初めてわかる、というのは甚だ不幸なことではあるけれど。

 それにしても、周囲の人が、ヤンマガの編集者はもちろんガロの編集者まで(大槻ケンヂも)、花子嬢をよく言う人が誰もいない。普通死んだら「いい人でしたあ」とか言うだろう。「そんなに苦しんでたなんてかわいそう」とか。やっぱ、嫌われてたのかしら。

 この本が不満なのはその辺を深く突っ込んでないところだ。何か欺瞞がある。花子嬢の両親に全面的に取材をしているから書けることに限定があるのか。しかもあとがきはご両親に向けての手紙という形式で、なんか嘘臭い。だいたい花子嬢の障害を「発達障害」「脳味噌のしくみ」とまとめちゃってるが、家族の影響がないはずはない。特に彼女の場合、母親の影響はいろんな意味で大きかったはずだが、そこに触れたくない理由が何かあったんだろうか?

 それと、非言語性LDの処方箋を書いてないこと(子供の時に見つけようって言うだけ。そういう仕事してるらしいんだよね)。協調性がない、普通の人間関係が築けない、働けない、それでどうせいちゅうねん。山田花子のように死ぬしかないのか?

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