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花猫がゆく

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「在日韓国人の終焉」鄭大均(文藝春秋)

◆パーな日本人みたい

 パーな日本人がよく、「えー日本で生まれたのに何で韓国人なのー? ふーん、じゃあ何で日本人にならないのー? 帰化ってできるんでしょお?」とか言うことがあってうんざりさせられるが、本書は要するにこういうことを言っている。それが在日ご本人が言ってるとこが変わってるところだろう。しかも大学のセンセイが。

 これは私が勝手に思っていることなのだが、著者の「岩手県生まれ」というのがどうも気になる。東北というところは在日が少ないこともあって、いわゆるサベツがあんまりないらしいのだ。いや、差別というのが日本のどっかにあるらしい、とは知っているが、感覚としてわからないらしいのだ。だから冒頭のようなトンチンカンなことを言うのも東北の人が多い。

 そういう場所から見たら、在日っていろいろウルサイことは言うし、うじうじしてるし、暗いし、なんかうっとおしい存在と見えたのかもしれない。勝手な想像だけど。

 これからますます在日差別なんてなくなるだろうし、韓国国籍を持ち続けてゆく意味は薄れていくのは事実だろう。だが、なぜ在日というものが生まれたかということに言及したがらないこの著者が、私はとっても気持ち悪い。日本政府の責任を問う記述が全くぜんぜん一言もないところに、なんか作為的なものを感じちゃう。政治的なものも感じちゃう。

 例えばアジアの国々を理解したがらない一部の日本人っているよね。「被害者意識が強すぎる」「南京虐殺はなかった。なぜなら証拠がないから」「従軍慰安婦なんてインチキだ。なぜなら日本軍が指示した証拠がないから」「今頃戦争のことを言うなんて執念深すぎる」なんて言う人たち。近くに住んでる隣人たちなのに、アジア人を理解しようとも仲良くしようとも思わない人たち。どうもそういうのと同じ臭いがするのだな。

 上野千鶴子が「頭のいい人と悪い人が議論をすると、頭の悪い人が勝ちます。なぜなら頭のいい人には相手の立場も理解できるからです」と、ずーっと前に言ってたけど(今は違う意見かもしれない)それに近いものを感じる。頭が悪い訳じゃないんだろうけど(なにしろ大学のセンセーだもんねえ)、他人の状況を理解する能力がないのか、それとも頑なに理解したくないのか。

 ひっかかるのは、著者が在日に向けて「こうしたほうがあなたたち(私たち)のためになるから、こうしたほうがいい」と言うのではなく、在日をけなすばかりなこと、在日に対する悪意が感じられることだ。批判したって愛があればこれほど不愉快な本にはならないはず。

 もひとつ、全然関係ないけど感慨深いことがあった。裏表紙の「著者近影」写真、これを見るかぎり、著者のお顔は韓国(朝鮮)人の顔というより、より東北人の顔に見える。いわゆる「チョーセン丸出し」の顔ではない。九州出身の在日の人は、どんなに在日アイデンティティを強調している人でも、どっちかというと九州人の顔をしている人が多い。「血」よりももっと重要なものがあるのかもしれんねえ。

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