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花猫がゆく

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「なぜ日本人は日本を愛せないのか」カレル・ヴァン・ウォルフレン(毎日新聞社)

◆それができりゃ苦労しないよ

 NHK英会話で「シカタナイと言わナイでくだサイ」と言い、小西克哉に「あんたはほんとに1回も言ったことないの?」と突っ込まれ、「いや、時々言う」と答えていたヴォルフレンさん。前に読んだ「日本を幸福にしない日本というシステム」では、処方箋として提示されたのは「市民が自主的に立ち上がり、自覚を持って活動をすること」だった。今回のは「憲法改正」。それができりゃ苦労しないよ。できないのが構造的な問題なのにさ。

 ただし分析はほんとうに的確だし、読みが深くてびっくりする。

 「地震に見舞われた直後の神戸で、ほんとうは何があったのか。たとえば、二つの街区を焼き尽くした火事の背後にあったからくりとは何か。どちらの街も再開発計画の対象とされ、住民はそれに頑強に抵抗していた。この地域で火の手が上がったのは、地震の五,六時間後、住民が避難したのちのことだった。消防署員が消火活動をせずにエンジンを磨いていたという複数の目撃証言がある。問題の地区から避難した人たちは、今でも疑いを捨てきれずにいる。その上、こうした疑いについて記事にすると約束して帰った記者たちは、編集長がこの話は扱いたがらないと、通知してきたきりだった」

 「1997年8月1日の永山則夫の死刑執行のニュースは、言語道断の恐ろしい話だった。(略)死刑については私と異なる意見を持つ人でも、28年間獄中で過ごした永山の身に起きたことには、納得しがたいのではないだろうか。永山は無実ではなかった。19歳の時、4人の人間を殺害するという罪を犯している。獄中で独学して自分が犯した罪の恐ろしさを理解し、それを文章の形で表現した。ところが、日本の「国家」は、その官僚組織を通じて言語に絶するひどい仕打ちを行った。すなわち、死刑を無期懲役に減刑し、その後、差し戻し控訴審でまた死刑判決に戻すなどということをしたのである。
 永山を殺したものには、アイデンティティーの中核がない。それは、動き続けることだけを目的に動くマシーンである。良心もなければ、意識もない。私がカッコつきの「国家」にしたのはそのためだ。そのなかでは、ものごとはただひたすら手順のための手順に従って処理されている。減刑を不服として控訴した検事が気にかけたのは「検察の威信」だけで、市民の保護にはまるで関心がない」

 そんな国で憲法改正して、うまくまわるということがあり得るだろうか。どうせまた、ねじ曲げられるのがオチだ。だいたい信頼に足りる政治家がいるか?いたとしても政治力も実行力もかなわないだろう。日本の政治家って、ほとほとポテンシャルが低いんだから。

 例えばこんな指摘は、見慣れすぎてわからなくなってることだけに、おおっと感動する。「日本のスキャンダルでは通常、『いったいこれのどこがスキャンダラスなのだ?』という疑問が生じる。ほとんどの日本のスキャンダルで、奇妙なことに、この点が全くわからない」。すなわち、物事の進め方=システム=タテマエに対応する本音、の部分で当然と捉えられていることがいきなりスキャンダルだと叫ばれ、しかもそれがスキャンダルになったとしても、なんのオーバーホールも浄化も行われないのがアヤシイ、というわけ。

 スズキさんも、かわいそうなツジモトさんも、確かに「え、それで普通ちゃうん?」って思うもんね。何が悪いのか、相当説明されないとわからない。え、みんなやってることちゃうん?って。

 全く正確な洞察だと思うが、日本がのらりくらり、ずっと危機をすり抜けてこられたのは、アメリカの庇護があったからだとウォルフレンさんは言っている。「日本の管理者たちは、今世紀の後半、非常に幸運だった。手に負えなくなるような危機は回避されてきた。国際的な文脈の中では、日本は大きく巻き込まれることなくここまでやってくることができた」

 だけどそれだけかなあ。カミカゼって本当にあるのかも?と私は思ったことがある。日本はいつも悪運強く、ダメかっ、というときにはいつも何かに助けられてきた気がする。例えば元寇のときのように。例えば戦争には負けたけど、そのおかげの高度成長とアメリカの庇護だしなあ。もしかしてこのままずっとのらりくらり行けたとしたらどうするよ。

 「日本人って〜だから」という言い回しはしたくないものだけど、それでも私は本当によく思う。日本人は、ひとりひとりと話せばみんな思慮深くていい人なのに、それが2人以上集まると、とたんにマシーンの一部として振る舞うようになる。その変わり身ぶりは、こっちがひっくり返りそうになるくらいだ。「いまこの場所で自分がどう振る舞うことを要求されているか」を「自分がどうしたいか」よりも、何よりも優先し、それを無意識かつ鋭く認識し、それに沿って行動する。これはもう、本人がどうしたいかに関係なく、ほとんどDNAにまで刷り込まれているという気さえする。ええっ、さっきああ言ってたじゃん!と驚くほど、豹変してしまう。

 そしてその能力に欠けた少数の人間(日本人にはほとんどいない。幼少時から訓練されまくっているからね)がはじかれていくシステムもできあがっている。免疫システムが病原体をやっつけるように。だからこの能力はサバイバルのための生活の知恵でもある。でないと自分が白血球に食い殺されてしまうからね。まさに有機体。ああ、国体という言葉が浮かぶ。「個性を重視」「私らしく」なんて言葉はちゃんちゃらおかしい。「個性」という類型をなぞってるだけだもん。

 自己コントロールがきかない、自分をシステムの奴隷のように感じている日本人。私は「のらりくらり」行けなくなることを心から望むよ。

 ところでこの本のタイトルって、(前著「人間を幸福にしない日本というシステム」もだけど)なんか草思社テイストだ。「地図が読めない女〜」みたいな。

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