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「文章読本さん江」斎藤美奈子(筑摩書房)

◆プロはプロレタリアートのプロ

 待っていた。斎藤美奈子さまの新刊。

 明治時代以降の作文教育(当時は作文といえば漢文だったらしい)から、その後隆盛を極めたという「あるがまま」の綴り方教育、その中での谷崎「文章読本」のあり方、と、とっても興味深くお勉強になるのだが、個人的に一番面白かったのは、「文章読本の読者って誰?」ってところ。

 そういえばそうだ。文章読本はえてして大家の小説家なんかが書くわけだけど、たいてい「小説の書き方」ではない。「正しい日本語を、私が教えて進ぜよう」スタイルで、わざわざ「小説のような芸術的な文章はここでは論じない」とか書かれている。それを誰が何のために読むの?日記や手紙や新聞投稿のため?文章読本の従順な読者って誰?こんなにも「文章修行」をしたがっている人って誰?

 この本の中では、「文章修行者のコアな層は女性である」と書かれている。「書きたい女たち」は明治大正の昔から山のように存在した」そうで、現在でもカルチャーセンターの文章教室に真面目に通うのは主婦が中心だ。

 彼女らが修行するのは「いずれは自分もプロに」と夢想しているかららしい。「(彼女らは)文章界のヒエラルキーを疑うどころか無批判に受け入れて、その内部での出世をいじましく画策しているように見える」

 しかしそこに文章読本の欺瞞があるという。文章読本に忠実に従ってお勉強を重ね、言われたとおりに「わかりやすく」「文章は短く」「句読点は正しく」などと心がけてきちんと書かれた文章は、結局破綻がなく上手なだけで、なんの魅力も価値もない。それは決して、作家やエッセイストのような「表現のプロ」の文章ではあり得ないというパラドックス。

 アマチュア文章家があまねく目指す「プロ」。その「プロ」って本当は誰のこと?ってところが面白い。文章のプロとは「プロフェッショナル」のプロではなく、「プロレタリアート」のプロなんだってさ。身を粉にして馬車馬のように働いている、匿名のライター軍団。それがプロなのだ。うまいこと言うなあ本当に。

 ところで私もかつて社員研修で本多勝一の「日本語の作文技術」を読まされたことがある。あの本の呪縛は今でも残っている。ちょっと文が長くなると「あ、本多勝一に怒られる」と思うし、本を読んでいてもつい、「あ、これ紋切り型表現ね」とチェックしたりする癖がついてしまったもの。いいのかなこれ。

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