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「ハゲを生きる〜外見と男らしさの社会学」須長史生

◆男とは脆弱なもので

 正直、期待したほどは面白くなかった。「ハゲを通してジェンダーを論じる」という感じなんだと思うんだけど、聞き書きをとってつけたみたいで、いまいち結びついてないような気がした。

 渡辺恒夫の「脱男性革命宣言」についてこんなことが書かれている。「彼の男性性への視点、すなわち脆弱で不安定な男性性は、つねに維持のための努力を要するものであるとの指摘は極めて示唆的である。(略)男性性をその多くの部分は社会的に作り上げられたものと見ている点、そして日常的に維持のための努力によって支えられていると考えている点、さらには社会的な制度もある部分は男性性の維持や再生産に貢献しているとする考え方は男性性の考察にあたり非常に有効な視座を提供しているといえるだろう」

 その通りですよね。男性性を揺るがされた時の男のパニックってすごいもんね。それに比べて男性学といえばこの人、の伊藤公雄はけっこう批判されてて面白い。「本書の疑問は伊藤が折りに触れ”脱ぎ捨てましょう”と主張する『鎧』に関してである」 そんなふうに一言で言うけど、いろんな状況があるし、鎧を身にまとわざるを得ない状況にこそ男性問題の核心があるんとちゃうか、って。

 「さらに伊藤は『鎧』を脱がない(脱げない)男性に対しては非常に冷たい。これではメッセージがもつ本来の意味が”負の特徴”をもたない、もしくは何か他のことで揺るぎない自信を持った、いわば”強い男性”に与するものへと変質しかねない。結果として『鎧を脱ごう』という主張は、伊藤の意図とは裏腹に、『古くさい男らしさ』を強化するものにもなりかねない効果を持ってしまっているのだ」 鎧を脱いでも大丈夫なくらいの自信があるなら、それってじゅうぶん「男らしい」んじゃないの、ってことだ。ごもっとも。

 あと面白かったのは、ハゲの男は「からかい」を通した「人格のテスト」を強いられるってとこだ。「おいハゲ」と友達なんかに呼ばれたとき、内面では傷ついてても、怒ったりしては「人格のテスト」失格ということになる。笑ってユーモアで切り返し、ピエロを演じなければいけないのだ。これっていろいろ応用できる。ブスでもデブでもバカでもモテないでも。ハゲだけじゃないよ。

 それと、関係ないけどおかしかったのが、「ハゲの男性は女性にモテないと気にするが、女性はそれほどハゲを気にしていない。実際自分のまわりの女性に聞いても、みな気にしていないと言う」と、再三(!)、繰り返しているところだ。ああ、そう思いたいんだろうな、って思ってしまった。たぶん著者のまわりの女性たちは正直じゃない。ていうか、これも一種の「人格のテスト」じゃない?「ハゲって男性としてどう思う?」と聞かれた女性がもし「えーサイテー、絶対つき合いたくない」って言ったら、人格疑われるもん。たぶん著者は女子高生には聞いてないだろうし。女子高生でも「ハゲでもお金持ってたらOK」と言うかもしれんけど。

 女の人はハゲについて、当事者ではないだけに、かなり気を使っている。傷つけまい、触れまい、と思っている。その辺が果たしてわかってるのかな。そりゃそれなりの年でハゲならば、まあオッサンだし仕方ないと思うけど、20代でけっこうキてたら、正直言ってかなり引くよ。しかも引きつつも、その問題には絶対に触れられない。本人が気にしてるのは火を見るより明らかだからね。その時に相手が「ハゲの男ってどう思う?」って聞いてきたとしたら、私だったら(内心ぎくっとしつつも)相手に気を使って「え〜気にしないけど」とか言ってお茶を濁すと思うな。それが思いやりってもんだ。

 著者は山田昌弘と江原由美子のお弟子さん(?)だそうである。なんか、納得。

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