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花猫がゆく

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「文壇アイドル論」斎藤美奈子

 いま私が最も、手放して尊敬している斎藤美奈子さまの新刊。読み終わるのがもったいなくてちびちび読んでたけど、なごりを惜しみつつ読了。最近は岩波書店御用達になったのかな。

 この調子で今度は文壇アイドル論90年代版を書いてほしい(しがらみで無理かな?)。その筆頭はなんといっても柳美里!お得意のオッサンおちょくり論法で、この団塊オヤジキラーをメッタ切りに…だめだ、美奈子氏は女に甘いから。あとはやっぱり辻ジンセイか?でもこっちは実際のとこ文芸プロパーで誉めてる人は皆無だからな。猫マタギ状態。じゃあ何で芥川賞やるんだ!考えてみれば90年代で論評し甲斐のある作家って、あんまりいないかも。

 関係ないけど、いま女ってお得だと思う。フェミニズムのおかげで、とりあえず知識人層の男は表だって女を批判しにくい状況だし、女が批判すれば「共食い」または「やっかみ」だと思われるからやっぱり批判しにくい。その上、柳美里みたいに「在日」の印籠まで持ち出された日には、批判できる人なんて誰もいない(あからさまな差別行為は別にして)。

 林真理子と上野千鶴子を対比させているのが面白い。分野は違うけど、確かに同時代にひとつのネガとポジになってるもんね。ただ、「九〇年代以降、彼女(注・林真理子)が書くものに女性嫌悪(ミソジニー)の色が濃くなったのは事実でした」というのはどうかと思う。林真理子はもともと最初のエッセイからそういう色は濃かったし、男に媚びる/愛される女に激しい愛憎を抱いているのは一貫して変わらないように思う。結婚を機に変化した、というのも、どっちかというと私は「結婚しても変わらねーな」という印象の方が強かった。ていうか、この人が結婚した時には、なぜか三島由紀夫を思い出したりした。夭折に憧れて憧れて、ついには無理やり夭折(?)に持ち込んだ。ぜんぜん違うか。

 林真理子がオヤジたちと闘って自力で成功を勝ち取ったのに比べ、上野千鶴子はお利口さんらしくオヤジ達に気に入られて…みたいに書かれているけど、そこについても「ん?」と思った。上野千鶴子は確か12年くらい学生をやって、そのあとやっと京都の女子短大に就職して、けっこうな長い間そこにいたはず。そっからメディアの人気者になって、京大出身なのに東大の先生になった。私はよくわかんないけど、かなり「自力でのし上がった」という印象はあるけど。確かに「団塊オヤジ転がし」でタイミングも良かったんだろうけど、最後には勝つ、っていうのがすごいなあと思った。そんな二人が行き着く先が同じような地点だと言うのは皮肉というか当然というか…。

<現実(ノンフィクション)より虚構(フィクション)の分量が勝っているとき、村上龍の物語世界はリアルに立ち上がってきます。しかし、皮肉なことに、フィクションの武装を解き、虚構の分量が少なくなればなるほど、龍ワールドは無惨なほころびを露呈します。いっちゃなんだが、村上龍のエッセイに人を納得させる力はなく、ノンフィクションで現実を再構成する力はさらにありません。>

 かーっ、鋭い。もともとルポルタージュ的時事ネタを小説に加工していた村上龍が、その加工度が下がれば下がるほど(ノンフィクション度が上がれば上がるほど)面白くない!というのはほんとその通りだと思う。「村上龍の力業は、物語が現実から離脱するときに効果を発揮するのです」「たぶん村上龍の資質がノンフィクションには合ってないということです」と言い切られてる。確かに小説は何かわからずグニョグニョとパワーがあるけど、エッセイはただのオッサンやもんね。そして小説の方も近年「オッサンエッセイ」に近づいてきつつあることろがヤバイ。

<しかも村上龍はだんだん性急になっています。現実と作品との時間差が、年々短くなっている。『コインロッカー――』のときにはまだ維持されていた前後一〇年という時間感覚が、『希望の国――』ではわずか一〜二年に縮まっています。昨日報道された事件を、今日取材して、明日には作品にする。まるで「五分後のニュースショー」です。>

 うう、うまいなあ。ところでその問題のエッセイ、「すべての男は消耗品である」の解説についてミナコ氏は「山田詠美の解説は、文庫解説史上にのこる秀逸な一文です」と評価している。これは本当にその通り。私は昔、古本屋でこのエッセイを見つけ、100円だったし村上龍はけっこう好きだったので購入し、読んで目が点になった。「まったくクズを買った」とぷりぷりしながら巻末の解説まで読み、「この解説のためにこの本はある」と納得したもんだ。あんな否定的な解説をつけた角川文庫もどうかと思ったけど。バランスを取るためだったのかな。

 また、引用されている松浦理英子の指摘が鋭いんだ。

<私は(略)村上龍が、〈マッチョ〉的な発言を繰り返すことを非常に残念に感じるのであるが、一方で氏のマチズモははたして本物なのか、との疑問も感じざるを得ない。デビュー作『限りなく透明に近いブルー』を思い起こせば、主人公のリュウは確かに暴力への衝動も秘め持ってはいるが、基本的に優しい性格であり、マッチョとは相反する受動性やマゾヒズムの資質を備えた青年ではなかったか。/漠然とした推測に過ぎないのだけれども、村上龍は『コインロッカー・ベイビーズ』あたりから、意識的に能動的・サディスト的な男性になろうとしたように思えてならない。>

 あんまりその通りなんで全部写しちゃったよ。確かに「限りなく透明に〜」はそうだった。主人公は繊細な男だった(どう読んでも美青年に描かれているので、本人の顔を見たとき「あ、やっぱ美化してるんだ〜」って笑ったけど)。動物的とかエグイとかの印象ですっかり忘れてた。女の人は鋭いなあ。立花隆によると、女は脳細胞が少ないから馬鹿らしいけど。

 ま、そういうわけで。最近仕事量の多い斎藤美奈子さん、早く次回作が読みたい(期待しすぎかな?)。

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