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花猫がゆく

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「網状言論F改」東浩紀/編

 おたく論的なものは「どうせ的はずれ」と思っていたので、ずっとあんまり読まないことにしていたのだけど、東浩紀と斎藤環の対談を読んで、「斎藤環は的はずれだけど東浩紀はけっこう鋭いことも言っている」と思ったんだ。それで新書を一冊とこの本を読んでみた。

 いろいろあるけど、やっぱり斎藤環のわかってなさっぷりはすごい。特におたく女性(やおい)に関する「精神分析的(もうこの言葉だけでむかつく)」分析のはずれっぷりはすさまじい。
 「やおい女性は『欠如した存在』という位置づけしか獲得できない。これはやおいに限らず、女性一般にそうであるというのが、精神分析的な言い方になります」って、何だそれ。フルイフルイフロイト?

 関係ないけど私はこの「○○的言い方(考え方)」という言い回しはつくづく胡散臭いと思う。「社会学的考え方ではこうなります」とかね。これは、一般人(アカデミシャンではない人)から容易にツッコミを入れられそうな時に事前の防御策として釘を刺しておくときに言うんだよね。もし「それ変ちゃうん」とツッコミを入れたら、「あなたにはわからないだろうが、これが○○的な考え方なんだよ」というような。

 まあそれはどうでもええとして、斎藤さんはまた「やおい作品においては、均質な存在であるということに力点がある」とか、「やおいの女性の方はしばしば日常において、男はいらない、異性のパートナーを必要としないという発言をされると聞きます」とか、わけのわかんないことを言ってる。そんなの聞いたことないよ? 一体どこで聞いたんだ?

 まあ女の、やおい素人である私がこんなにむかつくんだから、斎藤氏が専門家として語っているところの男のやおい(ところでなんでやおいをカタカナで書くんだろうね。私のイメージではやおいは昔からひらがなだけどなあ)の人は、もしかして「戦闘美少女」とかこの人の本を読んで激怒してるんじゃないだろうか。それとも自分は男性だから男のことはちゃんとわかってるのかも?

 それでもこの本の中の永山薫という人が語ってるように、「おたくの男は美少女に自分を同一化したがってる」というほうが、斎藤氏の「美少女を所有したがっている。男の本質は所有だ」という説よりもリアリティがある気がするのだ。「男の本質は所有」という部分には正しい面があるとしても。

 だいたい「オタク論(カタカナにしてみた)」を展開する人には、まず自分の理論をぶちあげて、そこに事象をむりやりこじつけていくというパターンが多くて、えーそれ違うやろ、といつも思ってしまうのだ。これだけ重層的で複雑で「メタにメタを重ねていく」おたく状況にあると、もうひとつの理論で覆いきれないわけで。大きな物語がない〜とか言いながら普遍的な理論をぶとうとしている矛盾。オタク論は各論だけにしといたほうがいいのかも。

 (読了したところ、上記の「やおい女は男を必要としない」発言は、野火ノビタ氏が言ったんだそうです。困ったなあ。野火ノビタって、ちょっと内田春菊テイストがある気がして、やや苦手なんだよね…)

(2007年4月追記)
 その後、斎藤環のものをいくつか読んで、この人への見方は変わりました。今はかなり信用しています。 でもこの人の、対談相手を持ち上げておだててヨイショが多いのはちょっと引く。相手が石田イラでさえ、「おっしゃる通り!」「さすがです!」だもんね。患者の話を聞く精神科医ならではなのかも?

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