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花猫がゆく

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「『拉致』異論」太田昌国 「在日からの手紙」姜尚中・内田雅敏

◆姜尚中の「顔」

 拉致被害者の五人の帰国以来、北朝鮮関連の報道に接しない日はない。拉致の解明と引き換えに「戦後補償」が持ち出されるたび、私は「それとこれとは別だよなあ」と思ってきた。たぶん大部分の日本人も同じだろう。滅茶苦茶にされた二十数年間の人生や(それだけ長い間放っておいたのは実は日本政府なのだが)「事故」で亡くなったとされる拉致被害者達。まことにひどい話である。

 しかし本当に「それとこれとは別」なのか、そもそも「それ」と「これ」のことをどれだけの人がよく理解した上でそう思っているのか。「これ」のことは日々間断なく、感情的・情緒的なムードも交えつつ報道されているが、「それ」のことを深く知ろうとする人が今の日本にどれだけいるのか。

 太田昌国「『拉致』異論」は苦渋に満ちた本だ。いわゆる「知識人」の言動を右から左まで丁寧に検証し、特に自らも属しているであろういわゆる「進歩的知識人」の言動や自己反省なき転向を批判している。しかもただ批判するだけでなく、その「転向」には転向するだけの切実さがあり、「汲み取るべき点がある」と言う、など、かなりしんどい作業をしている。要するに、自己反省も込めて「もうちょっと反省しろや」と言っているのである。

 「『日本民族である限りそんなことをするはずがない』という発想をどんな場合もまったく持たない」と言う著者は誠実な人だと思う。加熱する北朝鮮報道から一歩引いて俯瞰するためには必読の書。

 といっても私は基本的には今のこの風潮には是である。揶揄であろうと軽蔑であろうと憎しみであろうと、まずはそこに目を向け、関心を持つことが大事。ほんの数年前には知識人でもない一般の人は北のことなんて話題にもしなかったのだし、この本だって本屋のレジ近くに平積みにされることはなかっただろうと思うからだ。

 同様の意味で姜尚中のいちばん注目すべき点はその顔だと思う。今まで在日の言論人といえば、どうしても悲壮感の漂う、普通の(この「普通の」というのが大事なのである)日本人にとっては「あ、ちょっとしんどい」と思わざるを得ない人が多かった。姜先生の顔は若い女が「ステキ!」と思えるレベルである。男が見ても「カッコいい」。「声がセクシー」という女性の評も聞いたことがある。しかも東大教授。もうそれだけで充分在日のイメージアップに大貢献している(朝生でも「姜さんの講演会には若い女の子がいっぱい来ているじゃないか」と揶揄されていた)。

 その姜尚中の顔の大アップを表紙にした「在日からの手紙」はそのへんをよくわかっている。そうそう、そういうことなんだよね。姜尚中自身も自分の宣伝効果はじゅうじゅう自覚してやっているはずである。自分のやるべきことは「この大国の(略)“中枢部”に入り込み、それを内側から根源的に批判する作業」だと言っている(テレビに出まくる文化人は皆一様にそう言うんだけどね〜)。

 しかし私が憂えているのは、在日にあっても姜氏のようなきりりとしたいい顔が少なくなっていることである。日本人も同様だが、若い人たちは皆ぼんやりとした締まりのない顔になる傾向にある。これは在日に課せられた艱難辛苦が減っている証拠でもあり、いいことではあるのだが。

 人は楽に流れる。在日の負ってきた艱難の記憶も、新しい世代は忘れようとするだろう。一九五〇年生まれの姜氏はまだそれを伝えられる世代にあり、実際に、一世の歴史を風化させたくない、というようなことを言っていた。強く同感する。

 でもメガネは前のほうがよかったです、姜先生。

(KOREA TODAY 1月号掲載)

(追記)
 私はある種の「在日顔」が好きで、姜尚中の他にも李英和の顔なども大いに好みである。李氏は北朝鮮報道に絡んで最近ちょこちょこテレビに出ているけれど、そんなときはテレビかぶりつきで見てしまう。要は頬のこけた眼光の鋭いきりっとした顔が好きなのだが、これが竹田青嗣となるとちょっと違う。きりっとした精悍な爽やかさに欠ける。在日ではなく生粋の韓国人はどうかというと、これもまた違う。ベース型の大型顔が基本、という感じで、繊細さに欠ける(ウォン・ビンという大例外もあるが)。日本の水が在日男を美しくするのか、とも思うが、単に苦労が多いから緊張感のある顔になるだけかもしれない。この先は減っていく顔だろう。

 姜尚中に関しては、もう何年も前から院生の女とかの間ではアイドルだったらしいし、「こないだ東大に行ったら姜先生を見たの♪カッコよかった〜」とハートマークつきで話していた院生女がいた、という話も聞いていた。ああいう顔は日本人でもいいと思うらしい。

 数年前、講演会で姜氏を見たことがあるが(まあ私も「姜さんの講演会に来ている若い女」の一人だったわけ。若いかどうかは知らんけど)姜氏、黒いタートルセーターに革ジャンといういでたちで、笑ってしまった。キメキメじゃん。おまけに喋りがクドくて「誰か止めろよ」と思うのだけど、偉い人だしみんなこの人の話を聞きたがっているのだから、というんで誰も止めない。それで更にミミズ状に話し続ける(要するに「最後まで言わせてください」と言うのに「もういい!わかった!」という田原総一郎がいないから)。おまけに聞き手役の在日の大学教授は「まあボクなんて今日は刺身のツマみたいなもんですから」なんていじけてるし。言い得て妙なのがまたもの悲しかった。

 でも実は私、姜先生の書くものとか大して興味なくて、顔がいい、と思ってるだけなんです。すみません。でも「ナショナリズムの克服」のチ○ポコ連発はよかったです。

 ついでに言えば、蓮池薫さんの顔も好みだ(お兄さんのほうはダメ)。苦労人顔が好きなのだろうか。

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