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花猫がゆく

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「在日」姜尚中

◆癒しの姜尚中

 自分史、じゃなかった。自伝である。その名も『在日』。巻頭には東大(だと思う)の時計台の前に佇む姜先生のカラーグラビアつきだ!

 まあ、前にも書いたことではあるが、私は姜氏の最大の価値はその「男前」にあると思っている。だって今まで在日だということをちゃんと表に出してかつ「かっこいい」「素敵!」若い女がキャー、みたいのは誰もいなかったじゃないか。キザですって? 誰が言ってるのそんなこと。もてない男のやっかみでしょ? 考えてみればやっかまれるというのも大事なことで、在日? 差別問題?みたいな? えーよくわかんない、なんか難しいしい、暗いしい、でも在日って大変なんでしょ? 頑張ってくださいね、みたいな遠慮ムードをたった一人で一気に払拭しちゃった証拠でもあるわけだ。

 一世に対する思いを姜氏は繰り返し述べている。「一世たちは、どうしてこの日本にいるのか、彼らの一生はなんであったのか」「発言をできない、また発言したくても言葉を知らない一世」「歴史の忘却と言っていいような記憶の抹消が進んでいる社会に向けて絶えず発信し続けることが、一世たちとわたしとの絆を絶えず想起する意識的な行為のように思えた」

 この一点において私は全く姜氏を応援したい気持ちである。記憶の抹消が加速度をつけて進んでいる社会の中で、言葉を持たない一世の記憶も抹消されつつあることが、私は本当に残念でならない。姜氏のような「男前」がそれを繋ぎ止める仕事をしてくれるのは、とっても意味があることなのだ。この本を読むのは在日問題に興味がある特定の人たちだけではないだろう。忘却の日常を生きている「普通」の人が目を向ける、それが大事なのである。

 語ることができるのはいつも「言葉を持っている」人間だけだ。語る道具と語る術、語る場所を持っている選ばれた豊かな人間だけが、語ることができる。そして本当につらい思いをしてきた人は、えてして語りたがらないという事実もある。一世の記憶を残すのは、姜氏が指摘する通り、存外に難しいのである。

 なんてことを言いながら、実は全然別のことも考えてしまった。「幾重にも引き裂かれ、しかもそのどちらにも帰属できない自分」なんて姜氏は書いているが、どうも「家族」(あるいは「男であること」と言ってもいい)には帰属できているらしいことは、この本の随所に伺える。「勉強もスポーツもそれなりに目立っていた」少年だったという。そういえば私の記憶でも、小学生の頃クラスで人気者だった男の子は在日の少年たちだった。はっきり言って、もてていた。周囲は彼らが在日であることを歴然と知っていたにも関わらず、である。転じて女の子はというと、ほとんどが在日であることを隠していたと思う。その中で在日であることが知られていたような子は、そのことでいじめに遭っていた。当時はそんなことには気づかなかったのだが、どうも男女間で不均衡があるようなのだ。この差は何だろうねと今でもよく思う。

 「姜さんのは、癒しの言語なんだよ!」と『朝まで生テレビ』で田原総一朗に言われていた。この本の中には姜尚中のイメージを壊すものは何もないだろう。姜尚中はひねくれていない。真っ直ぐだ。純情そうでもある。ちょっとメランコリックでかなりセンチメンタルだ。もちろんロマンチストだろう。きっと読んだ人は癒されるに違いない。癒されないあなたは、たぶんひねくれた人なのだ(え?私ですか?)。

(KOREA TODAY 6月号掲載)

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