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偶然にも最悪な少年◆オッサン主演で見たかった 映画「GO」のヒットには、個人的にノれないものを感じた。在日の少年が主人公の青春映画。少年が恋をして、相手の女に自分が在日であることを言うかどうか悩む?ふーん。なんかねえ。十年か十五年前なら興味持ったかもしれないけど、今そういう映画を作る意味があるんだろうか。ていうか、「うまく時流に乗った」という気がしてしまうのはなぜだろう。 在日差別に対する問題意識は、若い世代の間では目に見えて急速に薄れつつある。下手したら日本がアメリカと戦争をしたことさえ知らないようなヤツらなのだ。在日問題など高尚すぎる。このまま何もなかったかのように忘れ去られていくのか、と恐ろしくなることがままある。差別がなくなるのはもちろん喜ばしいことだが、在日が苦労した時代をきれいさっぱり忘れてもらっちゃ困る。もしかしてこれは、日本の教育制度の大いなる成功なのでは…。 そういう意味では、こういう時代だからこそ「GO」のような映画に意味があるのかもしれない。「啓蒙」という意味が。そう考えると、なんか暗澹たる気分になるな。 「GO」とは対照的な青春映画、と聞いて期待(?)して見たのがこの「偶然にも最悪な少年」だった。 わざわざ「という設定」と書いたのは、主人公のこわれっぷりも少女の強迫神経症っぷりも、最初に「こわれてますよ」「神経症ですよ」と釘を刺すシーンがいくつかあるだけで、話の展開にさして影響がなかったからだ。そして話の前半は、いまどきの(私は東京のことは知らないけれど、たぶん渋谷あたりの)ワカモノ風俗みたいなものが描写されている。かなり無軌道な。 まず私はこの無軌道さに違和感を覚えた。有名なCMディレクターである監督はたぶん「渋谷あたりのワカモノ文化」に精通しているのだろう。だからきっとこれは正しい姿なのに違いない。だけど世間知らずの(ホントです)私のマイ・リアリティにおいては、今の若者たちは表面的には無軌道に見えても、実際にはけっこう真面目で、礼儀正しかったりもして、要するに案外普通なことが多い気がするのだ。 映画の中の「無軌道」の描き方には何か、深刻さへのはぐらかしが見える。「そんなに深刻なことじゃないじゃないか」と監督は言いたいのだろう。だけどそれはもしかして、「気取り」や「てらい」に近いものではないか?と私は訝ってしまうのだ。例えばそれは、主人公が女相手に自分語りを始めたりする部分などに伺える。韓国のおばあちゃんの悲惨な話。この部分が妙にメランコリックで浮いている。もしかして、これがほんとの姿なんじゃないの〜? 監督であるグ・スーヨン氏の自伝的小説である「ハードロマンチッカー」には、グ氏が少年だった頃の九州のメジャーなミュージシャンとして、「チューリップとか甲斐バンドとか海援隊とかグレープとかオフコースとか」とある。もしかして実はこの辺のメンタリティがルーツだったりして?なんて思ってしまうのである。 だいたいこの映画の主人公を高校生にする必要がなんであるのか。このまんま、オッサン総出演の映画にしたほうがずっと面白くて正直なものになったのではないだろうか。映画の中で主人公が子供の頃に受ける差別体験の話など、殆どオッサンの世代の話である。韓国のおばあちゃんの話にしたってそうだ。オッサンの心象風景と渋谷の若者文化がごちゃ混ぜになってる。ならいっそ、私はこの映画をオッサン主演で見たい、そう思ったのだった(商業映画としては成り立たないだろうね…)。 (KOREA TODAY 11月号掲載) (追記) 「え〜、そりゃないだろう」と思ったことは他にもあって、例えば主人公の少年と相手役の女優との出会いのシーンの、いわば決めゼリフ。 言わんとすることはわかるのだけど、これが今どきの高校生の、しかも渋谷あたりにたむろしている虚無的な少年少女の会話だろうか。はっきり言って知的すぎる。単に知的レベルだけの話ではなく、この世代の人間の感覚としてこれはあり得るのだろうか。現40代あたりの(つまりグ氏の)世代ならともかく、今の高校生、こんな風に在日を捉えてる? 少年のセリフだけならまだしも、女のリアクションのほうはリアリティなさすぎ。日本人の高校生の女の子のセリフとして明らかにおかしいよ。現40代のお色気があって知的な女性とかが言うセリフなら決まるかもしれないけど。 知的すぎるといえば、こんな会話もあった。運転手のプーの若者が車の中でなにげに言うセリフ。「攻撃は最大の防御だからな」 これに対して少年は訳知り顔で「それ、違うよ」などとツーカーの会話を交わすのだ。自堕落に生きているはずの若者がこんな話するかあ? オッサン総出演にしたほうがいいと思ったのはそういうわけで、そのほうが自然だろうと思ったから。だいたいみんな何でも若いほうがいいと思ってる風潮も気にくわない、というのもある。 そうそう、それとは別にちょっと「ええっ」と思ったのは、自殺する主人公の姉が女子大生という設定だったということが、映画の後半になってわかったこと。だって30がらみのOLにしか見えないんだもん(この姉の自殺について特に何の説明もなかったのはよかったと思う)。 使われている音楽の中では何といってもシャーベッツの曲が良かった。そこだけ文句なく素晴らしい映画に見える異化作用があった。これはベンジーの才能だろうな。 |