花猫がゆく

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韓国覚え書き

韓国エッセイ

読書メモ

過去の日記

2001年8月〜11月

11月9日
 かさばるので読書日記を独立しました。もともと日記に書くことないからここに書いてたのに、これから書くことないよ。どうしよう。

11月8日
 このホームページを見た人からちょくちょく感想のメールをいただくが、もらうと嬉しいもんです。
 どうもありがとう。

11月5日
 朝寝てたら猫の冷たい鼻とこそばゆいヒゲで起こされた。ふとんに入ってきて腕枕で寝る(もちろん私が腕を貸すほう)。柔らかくて暖かくて。もう猫がふとんに入ってくる季節になったんだなあ。

11月1日
 靖国参拝を違憲だと訴えられたことに対して、「そんなことを言う方が首相の信教の自由を侵害している」と言う官房長官、「おかしなことを言う人がいるもんんだ」と言う総理大臣。こんな国信用できない。

10月16日
 紫雨林(ジャウリム)
 HMVで試聴した韓国のバンド。ダンス音楽とバラード(安全地帯みたいな曲を韓国ではこう呼ぶ)しかないと思っていた韓国のポピュラーソング界にも、こういうオルタナ系っていたんだ。音も歌い方もまるでシイナリンゴだが、これは一体、アメリカ音楽から取り入れたのか、それとも日本の音楽を研究してこうなったのか。このごろインフレ気味の「女ボーカル裏声ひっくり返り系」の歌い方は韓国まで伝播してたのか。

 しかしこの歌の上手さ。キーキー叫んでるようにしか聞こえん日本の歌手に比べ、韓国人は歌の上手さに余裕がある。韓国人の歌の上手さについては、いつでももろ手を挙げて絶賛しちゃうのだ。バンド名もいいなあ。

10月1日
 AERA21ページのパウエルさんの写真。この顔だよね。かっこええ〜(犬系との声も)。

9月27日
 AERAに「ブッシュって、もしかしてわかってないのでは」という記事。そうじゃそうじゃ。もともと大統領の器じゃない人間を選んでしまったアメリカ人の責任。

9月26日
 「誰が本を殺すのか」佐野眞一
 問題はよくわかった。しかしなんかずれてると思うのは、例えば「本の花束」の編集者が「いま一番困っているのは、人に薦めたくなるような本がどんどん減ってきていることです」と言ったことに対して「意表をつかれた」などと言うあたり。そんなこと全く自明のことだし、問題の一番の本質じゃないの?幻冬舎なんか持ち上げてちゃダメだよ。
 版元も取次も書店も悪いかもしれんけど、肝心の創作者、作家への取材がないというのが不満。

 「東電OL殺人事件」のamazon読者書評に「どこか物足りない」とあった。そうなんだよなあ、多分この人の本って。すごい取材してるし、読んで面白いけど、なんか物足りない。

9月24日
 ↓日本でも生放送してたことを知らず、再放送を見ることができた。imagineてこんないい歌だったんだ、と涙。

9月22日
 アメリカ4大ネットワーク合同のチャリティー音楽番組で、ニールヤングがImagineを歌ってた。反戦的だということでラジオ局ではこの間から放送禁止になっているImagineをピアノ弾き語りしてた。この時期にあえてこの歌を歌うなんてさすがだ。えらいぞニール。アメリカの文鎮になってくれ。
 この時間、4大ネットワークは全て同じ番組をCMなしで放映し、出演した超メジャーアーティストは全てノーギャラだったらしい。

9月18日
 「新教養主義宣言」山形浩生
 この人なんでこんな思い上がってるんだろう?こんな本薦めないでよ斎藤美奈子さん(書評を見た)、と思ったら、読み直してみるとちっとも誉めてなんかいなかった(対談相手が誉めてた)。著者が言う「教養」って結局階級主義じゃんか、と思ったらそういうことも斎藤さんは書いてた(旧制高校的だって)。ううむ。

 「文学部をめぐる病〜教養主義・ナチス・旧制高校」高田里惠子
 同じ教養の話でもこっちは面白かったぞ。中野孝次ってこんなイタイ人だったんだ。「美とか何とか言ったって、要するにあんたはブルジョアの洗練に憧れとるだけじゃないのか」と親友に言われてがちょーん、となるあたり、同情を禁じ得ません。

9月17日
 アメリカがだんだんおかしくなってきた。ニュースは情緒論中心になってるし。アメリカはベトナム以降屈折を身につけたと思ってたけど、もう昔話なんだよな。NYに「天罰が下るぞ」ってメッセージがあるのをTVで見たけど、アラブ人の立場から見たら、この事件こそが天罰そのものだろう。

9月13日
 それに比べてパウエル長官、今までと顔が全然違う!キリッとしてかっこいい〜。さすがもと軍人、アメリカ初の黒人大統領になると目されてる人。ブッシュはバカ殿だな。それにしても寝不足。

9月12日
 いつものことだが、官房長官が「最も大事な邦人の安否は」なんて言うのは最低だと思う。そりゃ最も大事なことのひとつには間違いないけど、じゃあアメリカ人の安否は2番目に大事だと平気で言うつもりか?無神経極まりない島国根性。
 テロリストの高笑いが聞こえてくるようだ。疫病神ブッシュの間抜け面を見たらムカムカする。
 同居人、帰ってこれないよー。

9月8日
 ビョークの新譜を試聴する。相変わらず求心的。まったく拡散することがない。すごい集中力。
 フジロックのNeil YoungとPatti Smithがたいそう良かったと友達が言ってた。パワーとカリスマ全開だったらしい。この年頃の人はスタミナあるからなあ。ビョークと昔のPatti Smithは同じような喋り方をする。せっつかれたような、神経症的な喋り方。5曲目がよかった。

9月5日
 アメリカ滞在中の同居人と電話する。
 アメリカでは黒人の社会上層進出甚だしく、いとパワフルらしい。かえって白人が弱々しく見える感じ。黒人の方でも白人を小馬鹿にしてる感じさえ見えるという。そういえば音楽関係だけ見ても黒人が自信満々なのに対して白人はいやに内省的だ。
 アジア系は全く蔑視されている感じはなく、かえって「カッコいい」というイメージさえあるらしい。TVのお色気番組では女は全員巨乳、男は全員筋肉。アジア系の女は大活躍してる。「(アジア系でも)自分の国だと思えるかもしれない」とのこと(私なんて日本に生まれて同じアジア系なのに日本を自分の国だと思えないのに)。ポジティブで健康である限りはいい国だそう。
 アメリカ人のキーワードは「向上心」。ポジティブでなければ人にあらず。プロザックが流行るのも無理はない。犬にまで薬を飲ませる国(おとなしくなる薬を飲ませるんだって!)。

 アメリカではHyperactiveの子供に薬を飲ませるのが普通だ。製薬会社のCMを見て親が薬を名指しでもらいに来たり、学校の先生が親に勧めたりする。その方が扱いやすくなるから。ひどい話だ、と思っていたけど、TVでそういう子供(日本の)の様子を見たら、うるさくてわがままで憎たらしくて大人をナメてて、こりゃどんどん薬やってええわ、と思った。でも犬にやるなんてひどい!(変ですか?)

9月3日
 「赤い航路」
 TVで見たんだけど、妊娠小説の映画版だった!「手術は難しかったらしく、女は憔悴」というところまで型通り!いやあ、日本だけじゃないんだなあ。まさに妊娠小説は思いがけなく登場するとの言葉通り(わからない方は斎藤美奈子著「妊娠小説」を参照)。
 それにしても、どうして男は歳を取ると、自らの肉体の衰えを言い訳するように、自分の理想の性幻想を描きたがるんだろう。こりゃまるで「失楽園」だよ。最後に心中するしさ。
 いつも「奇才」が必ず冠につくロマン・ポランスキー、映画見て面白かったことないよー。

9月1日
 「日本語ウォッチング」井上史雄
 ら抜き表現(いつもATOKに指摘される)、〜じゃん、〜みたく、うざい、たるい、僕って〜じゃないですかあ(お前のことなんて知らん)、語尾上がり?半クエスチョン?

 特にアクセント平板化についての話が面白い。これは「専門家アクセント」とも呼ばれていて、自分の属する分野の用語が平板化する。音楽好きとそうでない人は「ドラム」「ギター」「フレーズ」等のアクセントが違う。バイク好きは「バイク」が平板化する。それだけでなくてドーナツ店でバイトしてる人は「ドーナツ」も平板化するらしい。
 平板化とそうでないのとで意味を使い分けている場合もある。ドライバー、パート、デッキ、サービス等。
 また単語が一般化することでも起こる。アメリカ、イギリス(ドイツ、スイスなどはまだ平板化していない)、B's、モデル、カレシ・・・。平板化は和語、漢語でも起こる。電話、電車、紅茶、白紙、部長・・・。地元の地名は平板化することもあるので、NHKに「地元と違う」と苦情が来ることがあるらしい。
 要するにこれは、発音の「省エネ化」らしい。専門家に多いのはその単語を使う頻度が高いから。なるほどねえ。

8月31日
 TVで白鳥英美子が"Woodstock"をギターだけで歌ってた。すごく感じがよかった。「Joni Michaelは私にとって歌の光」と言ってた。アート不在の日本の音楽業界にはもったいない人がいっぱいいる(和田アキ子とか)。

8月28日
 「妹の力社会学」畑田国男
 兄弟姉妹役割全還元論。血液型みたい。はじめの3分の1は面白いけど、あとは水増し。柳田国男と名前は(題名も)似てるけど、おこがましい限り。

 内容:親は上に厳しく下に甘いから、姉はいつも「お姉ちゃんだからしっかりしなさい」と怒られ、妹はずる賢く許される。その結果姉は保守的に親の期待に添うよう育ち、さっさと専業主婦になる。妹は自由奔放に育ち、結婚もせずに仕事で成功する場合も多い。
 兄妹の場合、兄は誠実で実直だが退屈な男になり、タレント性は低い。妹は兄で男に慣れており、可愛がられるのにも慣れてるので、それをまわりの男にうまく生かしてゆく。アイドルにたいへん多い。
 姉弟の場合、弟は女性性を身につけ、軽妙でおしゃれになり、タレント性が高い(男の成功したタレントにはこれが多い)。姉は弟をおもちゃにするしっかり者。

 まあ、これ自体は結構当たってるよね。
 私は妹の女とはどうも気が合わなくて、特に兄がいる妹とは、今まで友達になったことが殆ど一度もない。そのわけがわかった。こんな女、イヤに決まってるよ。妹は必ず美人だ(かわいい)と著者は言うが、それは間違い。うちでは私より姉のほうが美人だし、うちの隣に住んでた4人姉妹も、下2人がブスで上2人が美人だった。「妹のほうが姉より男好きする(特に年長の男に)」とは言えるかもしれんけど。

8月26日
 「だめんずうぉーかー」倉田真由美
 SPA連載のマンガ。だめ男ばかり渡り歩く女の話。立ち読み。
 ひとつ傑作な話が載ってた。ある女が寝台列車に乗っており、カーテンをさーっと開くと、向かいの寝台にパンツ一丁の男が寝転がっていた。男は彼女を見て「巴!」と叫んだ。「巴だろう?オレだよ、義経だよ。無理もないよお前が巴御前の生まれ変わりだってすぐには思い出せないのも。オレは義経の生まれ変わりだから一目で分かった。会えて嬉しいよ〜」とか何とか言って、女は「へ?」と思いつつ結局その寝台でメイクラブ。その後男は彼女の部屋に転がり込み、一緒にいた3ヶ月のあいだ、ふたりは「巴」「義経(または「よっしー」)」と呼び合った。本名も住所も分からずじまい。
 どうして最初に「それを言うなら静御前だろう」って言えなかったんだ(巴御前は木曾義仲)。

 同時にヒモマニュアルを2冊立ち読み。1冊の著者は女を風俗で働かせる正統派ヒモ。もう1冊のほうはOLばかりを狙い一度に上限30万円までを引き出す「同時多数ナンパ系」ヒモ。上記の本と併せて読むと両側から見えて参考になる(何の?)。
 後者の本によると「仕事が忙しくて、母性本能があり余ってて、心が不安定で寂しがりの女が狙い目」とある。「普通に見える女でも、ネッシーが住めそうなほどに深い心の闇を抱えている場合がある。そういうところをくすぐるのがポイント」うーむ。

8月24日
 AERAのバックナンバー見てたら「みんなヤンキーの時代」とかいう記事があった。今の主流はヤンキー文化で、モー・・・も浜・・・も、見かけも存在のあり方もヤンキーそのもの。できちゃった結婚は昔はヤンキーの専売特許だったけど今は普通。キムタクの結婚も(その相手も)もろヤンキー的。しかもこの茶髪の氾濫。ほんといえてる。
 髪染めると、例外なくバカに見えるのはそのせいか。

8月21日
 台風や雷が好きな人は欲求不満だといわれる。どっちも大好き。「台風、早く直撃して〜」と思う。でもホームレスの人や野良猫はどうしてるんだろう。

8月16日
  「機会不平等」斎藤貴男
 機会があったら日本国籍取ってもいいと思ってたけど、この本読んだらそんな気失せた。オラこんな国いやだー♪かといって韓国がいいわけでもないし。ああ無国籍に生きたい。
 介護保険制度と派遣社員の話は、実感を持って怒りを禁じ得ない。こんな国ホントにダメだ。
 しかしね、究極で不滅の古来由緒正しい機会不平等って、何と言っても女の顔による機会不平等だよね。男もそういう気分を味わってみればよろしい、って気はする。

「不平等社会日本〜さよなら総中流」佐藤俊樹
 まさにその通り!で、読んでていやんなってくる。日本の未来は暗いなあ。みんな自分のことしか考えない、おかしなことばかり起こる社会に、ますますなってゆくのでしょう。

 むかし私が子供の頃は、貧しい家に生まれたけど成功して人生変えた、みたいな人はたくさんいたはずだ。数年前にふと気がついたんだけど、今そういう人って全然いない。成功してる人はみんな富裕層出身か、「芸術一家」みたいな文化資本たっぷりの家庭の出身。もう誰を見ても、ほぼ100%そう。
 私はそれは「近代化」みたいなものが安定してきた結果なんだろうと思ってたけど、それは単にパイの問題だっただけ、高度成長期はパイが余ってたから階層の移動が可能だっただけ、ということらしい。

 じゃあオジサンたちが若者に向かって「オレが若かった頃は、一旗揚げるために努力したもんだ。なのに何だお前は」みたいなことは、これからは言えないね。

8月11日
 図書館でAERAのバックナンバー見てたら、柄谷行人の取材記事が載ってた。記者は「下下戦記」の著者。なんか異様にマッチョで笑えた。「柄谷は資本主義の本場で戦うためにNYに来た。『田中康夫?長野で勝手にやってろよ』」「柄谷の妻は小柄で知的な美女。柄谷との難解な議論に疲れ果てた私には、彼女の笑顔は大きな癒しだった。『いつもチャイナタウンで二人でご飯食べてくの』」
 アホとちゃうか。
 文化人類学方面からも評価の高い「下下戦記」も私はいまいちワカランかった。苦手だ。斎藤美奈子は誉めてたけどな(他の本だけど。ひめゆり部隊の話だったかな?)。

8月10日
 ゴゴゴゴキブリが2日連続で登場した。パニックする。スプレーと台所洗剤で応酬するも、死体が始末できない。この時ほど同居人がいてありがたいと思う時はない。「ヤモリやハチやクモは生きて逃がすのに、なんでゴキブリは殺すの?」と言われる。ゴキブリは別だ。何としても殺す。

8月7日
 80年代文化についてもう少し。
 数年前コクトーツインズのライブに行った時、客の半数は30代後半とおぼしき黒ずくめ(!)だった。
 彼らはきっと80年代に美しくも豊かな青春時代を送ったに違いない。その夢を追憶しにコクトーツインズを見に来たのだろう。彼らの今の仕事は、たぶんマスコミの端くれかアパレルの端くれだったりすることだろう。
 彼らにとっては80年代は美しい時代だったんだろうなあ。

 ちなみに客の残り半分は、地味な宅録少年たち(大抵1人で来てる)だった。

8月6日
 80年代の徒花・ペヨトル工房の主宰者だった人のインタビューがbk1に載ってた。ペヨトルの本てなんかスノビッシュであまり好きじゃなかったけど、読んでたら出版産業の終わりっぷりがよくわかって面白かった。
 「どこかで決定的に読者の自意識が変わった。例えばかつてはうちの本を読んだ人は、他の本にも手を伸ばしてくれたものだったが、今はすぐ隣にあるものでもなかなか興味を持ってもらえない。僕に言わせれば想像力の欠如なんだけど、みんな自分にしか興味がないような気がする」
 「最近の日本の作家、柳美里とか田口ランディとか、かつてだったら絶対、小説と言われないような言葉で書いてるよね(笑)。まあそっちの方が売れてるわけだけど、あれを小説だって言われると、おいちょっと待ってくれっていう気がしてしまう」
 「出版がいつの間にか“産業”になってきたわけです。なるべく在庫を持たずに売り切って、どんどん次の商品を買ってもらえるようにセットすること、採算が合わない部門はつぶして効率化すること、本質の部分で“いい商品”をつくるより流行に乗る“売れる商品”をつくること。出版界もまさにこういう流れになっている」

8月5日
 水面に光る銀の魚。

 猫がヤモリをくわえて部屋に持ってきてしまった。大騒動で捕まえてみると、いつも窓の外を走っている子供のヤモリ。じっくり観察してから外に放す。ヤモリの恩返ししてくれないかなあ。美しい青年になって現れるとか。

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