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最近の北朝鮮報道について(2)ちなみに今日は2003年2月13日です(「最近」がいつのことなのかを一応言っておいたほうがいいと思いまして)。 「最近の北朝鮮報道についてどう思いますか」というメールを頂いた。私はこのサイトであまり政治的なことには触れるつもりはなかったのだけど、まあ確かに最近の北朝鮮に関する報道は過剰ではあるし、この場を借りてお返事に替えさせてもらおうと思った次第です。 私はあまりテレビを見ない上に、最近は家に帰ってくるのが夜の10時くらいなので、それから見られる報道番組といえばNHKのニュース10にニュースステーション、そのあと筑紫哲也(最近までつくしてつやと読んでいた)のニュース23ぐらい。それもいつも見るわけじゃない。だからワイドショーや夕方のニュース等ではどんな扱い方をされているかは知らない。 それでも連日、北朝鮮に関する報道はげっぷが出るほどこってりある。拉致被害者の近況から始まり、在日や脱北者、帰国事業の話までがんがん特集が組まれている。いや、ほんとうにびっくりする。ほんの5年や10年前は、いや1年前でさえ、こんなことは考えられなかった。 結論から言うと、私はこの風潮、あんまり悪いとは思っていない。いじめにあっている民族学校の生徒は気の毒な限りではあるが、だがしかし、この北朝鮮に関する情報の肥大化と同じ比率でいじめや差別は増加してるだろうか。ちゃんと調べたわけでもないので断言はできないが、そんなことはないように思えるのである。掲示板の差別落書きも増えてはいるだろう。だけどそれだって、「ちょん攻撃」はむか〜しから激しかったし、かつてと比べて物凄く陰険さが増したかというと、どうもそれもなあ、という感じがするのである。全体的には、妙にクールな感じさえする。 そうだ、陰険さが感じられないんだ。なんでだろう。 たぶんそれは、北朝鮮報道が「タブー」じゃなくなったからだ。差別がなぜ楽しいのか、「ちょんは〜」と書き込むのがなぜそんなに嬉しいのか、それはきっとタブーを犯す快感なのだろう。その秘められた快楽が白日の下に晒され、「ちょんは〜」と言うのがタブーでも何でもなくなったら、きっと面白みは半減してしまうのだと思う。 そんなことよりも、数年前なら普通に生活してる日本人は誰も知らなかったであろう「帰国事業」とか「脱北者」なんて単語を、隣のおっちゃんまでが熟知するようになった、そっちのほうがよほど重要だと思えるのだ。隣の国のことだよ。しかも日本に住んでいた人間がいっぱいかかわってるんだ。もともと、知ってて当然なのだ。遅すぎるくらいなのだ。 それにまあ、例えばこっちの6ちゃん、ニュースステーションなんかでは明らかに北朝鮮を揶揄して笑いのネタにしてるな、とか、フジはさすがに中傷モードが凄くてエグいなあ、とか、NHKがここまで言うとは、やっぱり国が北朝鮮報道を解禁してる(というか、煽ってる)んだなあ、とか、報道のバリエーションも多くて、そういう意味でも面白いし。 それに私自身も、やっぱ北朝鮮はいかんだろうと思っている。帰国事業の時に「地上の楽園だ」なんて大嘘ついた総連も大罪だと思う。しかし国家体制には問題はあるが、国民はカワイソウ、そんなことまともな人なら誰だって思ってるはずだ。それでも北朝鮮の今の体制を支持するという人がいたとしたら、私は引いてしまうね。サベツやいじめはカワイソウだろう、しかしだからってその話を禁句にするのは、もっといけないのだ。メディアの論調はさまざまだろうが、今のところそれほど極端な、全体として右傾化を煽っているような風にも見えないし、まあ正直言って、「いいんじゃないの〜」という感じなのである、私は。 しかし気になっていることがひとつある。総連がなに考えてるかだ。 大変だろうが、やっぱり総連には大きな責任があるし、一応国の「出先機関」なのである。ここが正念場だろう。ここでビシッとカッコよく決めて欲しいものである。 (2007年4月追記) |
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