花猫がゆくblog韓国覚え書き韓国エッセイ読書メモ過去の日記 |
はじめに 2000年5月、はじめて韓国に行くことになった。 本当は99年の秋に両親と一緒に行くはずだったのだが、4月に突然父親が亡くなってしまい、秋の韓国行きは流れてしまった。生前、父親は私が行くのならと、あちこち行き先を考えていたそうだ。 実際行ってみると、短い旅ながら、普通の観光旅行では味わえないようなシュールな経験をずいぶんしたように思う。観光客なら必ず行くソウルには日帰りで1日しかいなかったし、表向きの韓国の顔はあまり見ることができなかったかもしれない。しかし、銭湯に行ったり、教会に行ったり、親戚の結婚式に出席したりして、「インサイド・コリア」「ディープ・コリア」のようなものは、図らずも体験できたと思う(けっしてそれが私の本意ではなかったのだけど……)。その度に「なんじゃこりゃ」「韓国人って、アホちゃう?」などとあきれることしきりであった。 韓国人は日本人とは全然違う。同じ東洋だからといってなめていてはいけない。強いて言えば全員が大阪のオバチャンの気質を5倍くらい濃くしたような国民性なのだ(ただし、のちに述べるが、韓国でもアメリカ式グローバリゼーションは進行しており、いかに韓国人であっても20歳代の若者などは、同年代の日本人とたいして変わらない。すなわち「うす味」になりつつあるといえる)。 大おば様 韓国での滞在先は大邱にある母の妹の家である。この母の妹というのが強烈な人で、姉である私の母も大概だが、母に輪をかけてがさつというか、大陸的というか、いわゆる日本的美徳とはほど遠い人なのだ。この家に1週間もいなければいけないというのが、出発前から私の憂鬱の種だった。 このお屋敷に住んでいるのは、この母の妹(以下「大おば様」とよぶ)とその長男の嫁、およびその大学生の娘という女所帯3人暮らしである。 長男の嫁韓国では自分より年上の女の人は、親しくなったらみんな「オンニ」と呼ぶ。オンニとは「お姉さん」という意味で、本当の姉でも他人でもそう呼ぶ。これは自分が女の場合で、他に例えば自分が男なら年長の男友達は「ヒョン」と呼ぶ。 知人が韓国に行って、向こうで知り合った若い男性に「ヒョンと呼んでいいか」と問われたそうだが、別にこれは日本で言うところの「兄貴と呼んでいいですか」といった怪しい意味合いはなく、本当に親しみを覚えた場合に言うらしい。だから私も、大おば様の長男の嫁をオンニと呼んでいた。 儒教社会である韓国では、結婚したら女に名前はいらないと言われる。結婚したら「○○の嫁」と呼ばれるし、子供ができたら「○○ちゃんのお母さん」と呼ばれるから、個人名はいらないというわけだ。私の見た範囲内では、これはどうも本当らしい。私は最後までオンニの名前を知らなかったし、姑である大おば様でさえオンニのことを「ソングギオモニ」と呼んでいた。ソングッというのは家を出て下宿生活をしているオンニの息子、つまり大おば様の孫である。このソングッのお母さん、というわけなのだ。もちろん個人的に呼びかけるときはちゃんと名前を呼ぶのだろうが、他人に対して第三者的に名指す時には、名前を使うことはまずないように思った。 だが、だからといって「韓国では女が虐げられている」とは私は毛頭思わない。確かに女性が差別されて大変な一面はあるだろう。だけど実際外を出歩いたら、見かけるのは女ばっかりだし、露天の物売りも女のほうがずっと多い(韓国には露天商がいたるところにいる)。それもオバチャンばっかりだ。女のほうが圧倒的に元気に見える。そして、あつかましく見える。とにかくオバチャンパワーが物凄い。そして人生をより楽しんでるのも女のほうに見えるのだ。 大おば様などのように女所帯であると、もう女帝状態である。まさに「君臨している」という感じ。韓国の嫁はほんとうに従順なのだ。特にここのオンニは物凄くよくできた人だった。朝は誰よりも早く起き、食事の準備、掃除、洗濯、私のような客人の世話と、とにかく完璧にこなす。あの身勝手な姑の身の回りの世話を、毎日毎日完璧にやっているのだ。そしてその合間を見て趣味の山登り、教会の聖歌隊、と生活をエンジョイしてもいる。実際不幸な人の顔つきではない。言っておくが、夫は20年近く前に亡くなっているのだ!なのにその親に尽くしつづける姿は、なにか小津安二郎の映画を彷彿させるような(そんなことないか)。 ふたりの孫当然といえば当然だが、大おば様は私のことがあまり気に入らなかったらしい。大おば様に言わせれば、私は「チミニと同じ」ということになる。チミニというのはオンニの娘、ソングギ(韓国では子供などを呼ぶ場合、親しみをこめて名前の後ろに母音の「イ」をよく付ける。だからソングッの場合はソングギとなる。子音で終わる名前の場合、それだけでは呼びにくいしね)の妹なのだが、どうも彼女はその母の生活スタイルを真似る気はないらしい。要するにいわゆる現代っ子なのであって、この辺は日本と変わりない。古風な女の姿を見て「あんなのイヤ」と思うのだろう。 「チミニは、勝手だ」大おば様はそう決めつける。私が滞在している間、チミニと大おば様が話すのを見たことがない。チミニは毎日バイトだか何だかで夜十一時過ぎに帰ってきて、二階にある自分の部屋に直行する。母であるオンニとは仲良さそうにしているが、大おば様は避けているように見える。大おば様は彼女が相当気に入らないに違いない。 それにひきかえ、息子のソングギは本当に大切にされている。さすがは儒教の国。週末だけ家に帰ってくる孫は大おば様にとっては可愛くてしかたないようだ。私の母に言わせると彼は「本当にいい子」。いい子なのは従順だからでもあるだろう。おまけにソングギは20年近く前に亡くなった父親にソックリなのだ。大切にしていた息子にクリソツなのだから、そりゃ可愛い孫だろう。まさに「ひとつぶだね」なのだった。 大きいのが好き韓国に着いてから歯ブラシを忘れてきたことに気がついた。私の歯は親知らずが多く、かなり磨きにくい。だから歯ブラシは、ブラシ部分が小さくて細かいところまで磨きやすいものを愛用している。私好みの歯ブラシは、日本でも見つからない店がけっこうある。その愛用の歯ブラシを日本に置いてきたのだ。 「歯ブラシ忘れた!」と言って困っていると、大おば様は日本語で「歯ブラシ、韓国にもいっぱい、ある。買いに行こう」と言う。 そうなのだ。韓国人はとにかく何でも大きいのが好き!なのだ。小さいのは貧乏くさくてよくないのだ。 日本では「歯医者さんが選んだ歯ブラシ」などといって、最近はヘッドが小さめのが主流なのだが、向こうではそんな話は今のところないようだ。母親に「ブラシの小さいのが欲しいんだけど」と言ったら、「お前ここではそんなもん、頼りなくて誰も使わんのじゃ!」と一喝されてしまった。 それだけではない。その(ブラシの)大きな歯ブラシは、明らかに日本のコピー商品なのである。白地にカラフルなツートンカラーのデザイン、これはまさに日本でよく見かけたものと同じ。ただし違いはブラシの大きさ。こんなコピー商品が各種山のようにあった。たぶん、白地にピンクやグリーンの、このハデなデザインが韓国人の趣味に合ったのだろう。 コピー商品に混じって、本家本元オリジナルの日本製も置いてあった。こちらはずいぶん高くて、デザインはほぼ一緒なのに、値段はコピー商品の倍以上で三千五百ウォンもした。輸入品だから高級品ということなのだろうか。しかたがないので、不本意だったが結局こちらの日本製を買うことにした(若干ブラシが小ぶりだったのだ)。 大おば様の家に帰って、早速歯を磨きに洗面所に行ったら、鏡の前に家族三人分の歯ブラシが並んでぶら下がっていた。三本ともやっぱりお父さんの歯ブラシのようにでかいので笑ってしまったが、三人はすべて女(しかも一人は女子大生)なのだ。 「頼りないからダメ」ならば、韓国人とは、でかい歯ブラシで、がし、がし、がしと歯を磨くのをよしとするメンタリティの人たちなのだろうか。到着早々、歯ブラシで考えさせられてしまった。 |