花猫がゆく

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親戚たち

 私の母は10人きょうだいの8番目で若い方だから、母のきょうだいにはみんな孫の代、ひ孫の代までいたりする(下手したらその次の代もいるかも)。だから親戚はもうとにかく凄い数いる。母によると、「何百人もいる」ということだ。ネズミ算式とはこのこと。その中で今回私たちが出席したのは、母の姉の孫の結婚式である。

 式に集まった親戚たちを見渡してみると、どうも母方の家系には美人系とそうでない系が混在してるようだ。母と大おば様は双子のようにそっくりで、揃って「そうでない系」。ちんちくりんである。ころんと丸くて背が低い。顔もまん丸。

 10人きょうだいの中で存命なのはこの時点で3人だけ。もう一人かなり年長のお兄さんがいるが、もうずっと寝たきりらしい(ゆうべ母から電話があり、このお兄さんがきのう亡くなったらしい。合掌)。だから大おば様以外のきょうだいの顔を見ることはできないが、「あれは美人だった」とかいう評判は聞くことができる。どうも「美人系」のほうは短命らしい。

 この日結婚する花嫁は美人系中の美人系、親戚たちの中でも白眉といえるほどの美人家族の一員の娘である。式場で花嫁の妹に会ったが、これがまた女優のような美人でのけぞりそうになった。背もすらりと高くて、中間色の上品なワンピースがよく似合う。韓国の女性は化粧が濃かったり、色彩感覚がどぎつかったりして、ちょっと日本の感覚とは違うよなあ、と思うことが多いが、これはかなり洗練されたタイプの美人である。

 短大を出たあとスチュワーデスをしていたそうで(すごいでしょ)、英語ができるため、少し話をすることができた(私の韓国語は初歩の初歩状態)。なんでもスッチーは数年で辞めて、今はソウルにある大学の英文科に通っているらしい。人生バラ色だろうなあ、でも早死にするのかしら、などと考えてしまう。至近距離で話しているとまぶしい。「韓国人には美人が多い」という噂がいきなり信憑性を帯びる。特に大邱は「美人の産地」といわれているらしいし。

 なんかこの家系はハイソであって、花嫁はピアノ、元スッチーの妹はフルート、長女(すでに結婚して子供もいる。2人目を孕みつつ参列)もピアノ、米国留学経験者かつ医学生の弟はバイオリンをたしなむという。一家で合奏したりするんだろうか。知能レベルも高そうで、ますます早死にしそう。

 そもそも大おば様の娘が職業ピアニストなので、彼女が若い姪たちに教えてやっていたらしいのだ(大おば様の孫のチミニにも教えていたそうだが、これはグランドピアノを与えてやったにもかかわらず、早々に挫折したらしい。この差はどうだ)。

 ちなみに新郎はパイロットだという。やっぱりなんかハイソだ。彼も(韓国人には珍しく?)なかなかのハンサム。オンニとふたりで「背は低いがハンサムだ。美男美女だ」と稚拙な韓国語で言い合う。

カトリック出版社

 母方の親戚はみんなカトリック信者なので、結婚式はソウルにある「カトリック出版社」というところで行われた。出版社という名前だが、敷地は異様に広く、大きな建物がいくつもある。内部にはミサを行うお御堂が二つ、広い中庭からは南山タワーが臨める抜群の立地条件だ。結婚式の後でパーティー(披露宴?)ができるレストランもあり、いわば「総合カトリック会館」といった感じ。休日にはひっきりなしに結婚式が行われるらしく、わが親戚の式のあとにもすぐに次の結婚式が控えていた。

 韓国では国民の3分の1がキリスト教徒だといわれている。街に出ればしょっちゅう教会の尖塔と十字架を見かける。キリスト教系の病院や大学も、日本にあるそれよりもずっと大規模である。当然、こういった施設も充実してくるわけだ。

 ところでこの「カトリック出版社」はソウルの中心地にある。私の滞在先は大邱である。花嫁の母も大邱に住んでいる。大邱からソウルまでは車で4〜5時間かかる。どうやって行ったかというと、花嫁の母が観光バスをチャーターして出かけたのである。韓国人は団体で出かけるとき、観光バスを貸切りにしてみんなでどんちゃん騒ぎをしながら移動するという習慣があるらしい(後で知ったことだが)。この「観光バス」というのが筆舌に尽くしがたいほど凄いしろものだった。あまりに凄すぎるので、別項にて。

結婚式ミサ

 日本でも教会で結婚式を挙げる人は多いだろう。結婚式場やホテルにもそれ専用の「チャペル」があるくらいだ。だがたいていの場合、彼ら新郎新婦はキリスト教徒でも何でもなく、単に「西洋風のハイカラな結婚式」というイメージで教会挙式を挙げるに過ぎない。新郎新婦がキリスト教徒だから教会で、ということはめったにないだろう。従って参列者もキリスト教徒はほとんどいない。場所こそ教会だが、単なる洋風の結婚式場、といった雰囲気になるのが普通だ。しかしここは韓国である。新郎新婦を含め、列席者ほぼ全員がキリスト教徒なのである!

 何が違ってくるかというと、日本の場合、結婚式のためにアレンジされたミサをするわけだが、ここではミサに結婚式が組み込まれる形になる。普通のミサと変わりなくすべてのお祈りプログラムはこなすし、ちゃんと聖体拝領(キリストの肉と見立てたパンを全員に配って食べる儀式。ミサのハイライト)もする。新郎新婦もミサの間おとなしく座ってるし、途中、結婚式だということを忘れそうになるくらいだった。

 ただ、ああここは韓国なんだ、と思い知ったのはミサが終わったあと、儀式のしめくくりとして、司会が大きな声である号令をかけた時だ。
 「新郎新婦、新郎の親族にインサ!」
 インサとは挨拶のこと。ここでは儒教式のお辞儀のことである。すると新郎新婦が参列者のほうを振り返り、まず式場右側にいる新郎側の親族に向かって、新婦は深くお辞儀を、新郎は儒式の礼、つまり土下座みたいに頭を地にこすりつけんばかりのお辞儀、をした。
 参列者一同は大拍手である。
 「続いて、新婦の親族にインサ!」
 今度は会場左側の新婦側参列者に向きを変えて同じ礼。また大拍手。

 ヒエー、すごい韓洋折衷だなあ、などと感嘆しているうちに式は終了。続いて同じカトリック出版社敷地内にあるパーティー会場に大移動し、披露宴(のようなもの)に移る。

 パーティーまでは少し時間があったので、中庭のテラスで親戚たちと歓談する。ここカトリック出版社は高台にあるらしく、ソウルの街を見下ろすかたちになり、まっすぐ向こうに南山タワーが見える。素晴らしいロケーションだ。カトリック教会の施設内のせいか、街の喧騒とはかけ離れ、静かな時間が流れているように思える。

披露パーティー

 パーティーが始まった。威勢のいい司会のあとでハデにクラッカーが割られ、大音量で音楽が始まった。曲はクリフ・リチャードの "Congratulation" 。しかしこれは韓国語のカバーバージョンである。 "Congratulation" は韓国語で「チュッカハムニダ」というのだが、これが妙に曲調にハマっていておかしかった。「♪チュッカーハムニーダー、チュッカーハムニーダー」曲を知っている人はぜひ歌ってみてほしい。妙にぴったりだから。

 韓国にいると洋楽を耳にすることも多いのだが、たいていの場合(というか、私が聞いたうちでは全て)、韓国語でのカバーバージョンだった。やっぱり外国語に対しては許容度が低いのかもしれない。というか、この国民は何でも自文化に貪欲に取り込んでしまうのではないだろうか。例えばキリスト教信者でも、特別な行事の折にはチマチョゴリを着て教会へ行く。ハルモニ達の中には毎週チマチョゴリを着てミサに参列する人もいる。日本ではいくらキリスト教徒であっても、教会に着物を着て出かける人は、あまりいないのではないだろうか。日本人は「西洋風」に合わせちゃうのだ。

 韓国人の一般的な結婚式がどうかは知らないけれど、私が参列した式はどちらかといえば質素だった。お色直しもなく、花嫁は披露宴でもずっと式と同じウエディングドレスで通していたし、日本みたいに子供の頃の写真を巨大スライドで写すとか、友人知人に型どおりのスピーチを強要(?)するといった演出もない。食事はバイキング形式で、各自が自分の食べたいものを取りに立つ。かなりカジュアルな印象だ。もしかしたら、質素なのはキリスト教徒のピューリタン意識のせいかもしれない(カトリックだけどね)。

 ただ料理は、バイキングとはいうものの、かなり韓国料理風である。キムチやカルビ、カオリ(エイのこと)もあった。例によって韓洋折衷で、デザートのケーキもある。食事の後にはお決まりの韓国風甘い甘いコーヒーもある。

 この披露宴のあと、新郎新婦とその家族は別室にひきこもり、家族だけで例の儒教式インサをする儀式をする。 この儀式を行う部屋はガラス張りになっており、披露宴会場から出てきた人が眺められるようになっている。韓服に着替えた新婦が額に両手を添えて、そのまましずしずと深く(土下座並みに)お辞儀をする。自分の親に向かってである。今までお世話になりました、というわけか。ちなみにこの儀式は在日のキリスト教徒でもすることが多い。

覚えきれない

 このパーティーの間、いろんな親戚に会った。その度に母が「これは私のお姉さんの孫」とか「これは私のお兄さんの3番目の娘」とか説明してくれるのだが、あまりに多すぎて覚えきれない。その中に花嫁の祖父(母の姉の夫)がいた。相当な年配なのにかくしゃくとして、しかもかなりの長身である。長身の遺伝子はここからか。彼は私に日本語で、「韓国人なのに韓国語できなくてどうするか」と説教をする。やはりこの世代はみんな日本語ができるのだ。

 このおじいさんの妻、つまり私の母の姉は「美人系」だったので(?)早世した。その娘(つまり私の歳の離れたいとこ。花嫁の母)も長身の美人で、大邱の大おば様の家の近くに住んでいる。大おば様一家とは行き来も多く、同じ家族かと思うくらい懇意にしている(私と母が韓国に到着した日も、スイカを持って現れた)。彼女の夫も数年前に若くして亡くなった。なんだか見渡す限り女ばかりなのである。私の父はこの亡くなったおじさんが大好きだったそうだ。宝石商を営んでいたこのおじさんは、母によると、「はっきりしていて、男気があって、頼りがいがあって、すごくいい人」だったそうだ。父は何かとこのおじさんを頼りにしていたので、亡くなって本当に残念そうだったらしい。その父も亡くなってしまい、ますます見渡す限り女ばかりなのだ。

 パーティーが終わると、早々にバスに乗り込み、大邱に帰らなければいけない。なにしろ大邱までは5時間もかかるのだ(それが悪夢のような怒涛の5時間になろうとは、この時はまだ予想もしていなかった。それについては、次項にて)。

 バスが出発する時、花嫁と花婿が見送りに来た。これから新婚旅行に出かけるのだろうか、2人ともスーツに着替えている。花嫁の洋服は、妹と同じくやはりこざっぱりとして趣味がいい。靴はかわいらしいミュールだ。日本で見るBS韓国ニュースのアナウンサーなんかとは全然違う(と言ったら語弊があるかなあ)。

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