花猫がゆくblog韓国覚え書き韓国エッセイ読書メモ過去の日記 |
ポンチャックバスで行こう観光バスたとえば大阪在住の人が東京の結婚式に行くとなれば、新幹線かなんか使うだろう。でもここではわざわざ観光バスをチャーターして、ソウルまで団体で出かけるという。韓国ではわりと普通のことらしい。観光バス1台分も親戚がいるのか?と思うが、乗り込んだのはほとんど花嫁の母の友達や近所の人のようだ。今思えば、カトリック教会のコミュニティの知人たちだったのかもしれない。 集合は朝の6時40分(ちなみに起床は5:30)、バスは7時発である。ここから4〜5時間かけてソウルまで走る。 思えば最初から変だなあという気はしていたのだ。バスに乗り込むと、天井には両側に大きなスピーカーが横向けに何台も据え付けてある。バスには不必要な大きさのスピーカだ。天井中央にはミラーボールらしきものがぶら下がっている。なんでかなあ、まあ日本にもミラーボールのついた豪華観光バスってあるし、バスの中でパーティーする酔狂な人とかいるのかもなあ、とは思ったのだ。 バスが走り出すと、すぐにお弁当が出た。キムパッといって、韓国風のり巻き。見た目は日本の太巻き寿司とそっくりなのだが、味は全然違う。のりは韓国風の塩とごま油で味をつけた岩のりで、ごはんは酢めしではなく、やはり塩とごま油で味をつけたごはん、それに卵焼きやほうれん草の具が巻いてある。私はこのキムパッが大好きだ。これがプラスチックの容器に入れて振舞われる。朝ご飯というわけ。味は、先日市場で買って食べたキムパッのほうがおいしかったけど。一緒に缶入りのサイダーと水もまわってくる。 余談だが、このキムパッ、私は日本の巻き寿司を韓国風にアレンジしたものだと思っている。あまりにも見た目がそっくりだからだ。日帝時代に入ってきたものではないだろうか(ちなみに、おでんもある。韓国語でも「オデン」というらしい)。でもそれを韓国人に言っても、決して認めようとしないのだ。「キムパッは昔からある。もともと韓国のものだ」と。彼らは本当にプライドが高い。こと日本の話になると、がぜん強情にもなる。 しばらくして、オレンジがまわってくる。そのあと紙コップに入った温かいコーヒーがまわってくる。バスの後部座席で作っているのだ。 韓国でコーヒーと言えば、インスタントコーヒーである(いわゆるレギュラーコーヒーは「豆コーヒー」と言って、別物らしい)。砂糖とミルクも最初から入っている。とても甘い。私はこのコーヒーも大好きである。ちなみにコーヒーは韓国語では「コッピ」という。コもピも激音なので、きつめに発音するのがポイント。 しばらくして、今度は紙の皿に入ったスルメ、ピーナツ、おかき(のようなもの)がまわってくる。スルメは日本のスルメと同じだ。それと缶ビールが一緒にやってくる。 もうしばらくすると、今度はキムチとゆでた豚肉、それをつけるコチュジャンとケンジャンが皿に入ってまわってくる。 バスの最後尾では世話役のアジュマ(若めのおばさん)たちがかいがいしく働いている。コーヒーを作ったり、皿に料理をとりわけたり、狭い通路を配って歩いたり。 要するに、こうしておもてなしをしながらバスに乗っていくという、こういうイベントなのだなあ、とわかってくる。ホスト役(花嫁の母)は観光バスをチャーターするだけでなく、こういう食べ物なども用意しなければいけないらしい。ただし彼女はバスの前のほうに座っていて、働いているのはそういう役を買って出ている友達たちのようだ。 高速道路に出て1時間ほどして、ちょっと疲れたなあ、という頃にサービスエリアに入る。トイレ&休憩タイムだ。 15分ほど休憩したあとバスが動き始めると、またおつまみがまわってくる。ビールもまわってくる。バスの中では「ポンチャック」が流れ始める。 本場のポンチャックとは「ボンチャック」は「トロット」とも言うらしいが、日本でも李博士(イ・パクサ)ですっかり有名になった(電気グルーブが一緒にCDを作っていた)。チープなエレクトーンとリズムボックスの音に合わせて延々とエンドレスで流れつづける韓国演歌メドレーだ。韓国ではトラックやバスの運転手が仕事中に愛聴している大衆的な音楽だと聞いていた。だからCDやレコードではなく、媒体はもっぱら車中で聞けるカセットテープであるらしい。 バスの中でポンチャックが流れ出した時、内心私は喜んだ。おお、本場のポンチャックだ!こうして韓国では身近にポンチャックが使われているんだ、と。しかし、何で運転手が自分の趣味の音楽を、勝手にバスでかけるのだろう、きっと何時間も運転しづくめの運転手のために、みんなこれで黙認してるんだなあ、などと甘く考えていた。 バスはソウルに入り、高層マンションの立ち並ぶ中を走っていくと、大きな川に出た。漢江だ。数年前、漢江にかかる橋が落ちたことがあったことを思い出し、ちょっとヒヤヒヤする。あの事故のあと、漢江にかかる橋は他にも危ない手抜き工事のものがいっぱいあるということがわかって、相当補修工事をしたらしい。いや実はあの事件の前から「橋があぶない」とテレビで特集レポートがあったらしい。結局レポートされていた橋とは別の橋が落ちたらしいのだが。 百貨店の崩落事故というのもあったが、私の読んだ本では、前からあの百貨店は危ない気がしていた、と書かれていた。見た目からしておかしくて、なんか建物の真ん中あたりが「ふくらんで見えた」そうだ。コワイ。 だいたい韓国人は「ケンチャナヨ精神」と言われるように、何でも大雑把で適当に済ませてしまう。歩道の舗装なんて、がたがたである(ケンチャナヨは、まあいいじゃないか、気にするなよ、くらいの意味)。 この旅行の中ではソウルに出たのはこの時だけだ。だから南大門も車窓から見ただけ(ちなみに南大門も、相当アブナイ建築物であるらしい)。 目的地が近づくと、花嫁の母はおもむろに着替え始めた。オンニが他の人に見えないように、布で隠してあげていた。彼女はバスの中で晴れ着のピンクのチマチョゴリに着替えていたのだった。(彼女は帰りもバスの中で洋服に着替えていた。何もバスの中で着替えんでも、と思うが)。 テグへさて、結婚式が終わって、バスは午後3時にキリスト教出版社を発った。 帰りも行きと同様に次々にビールやら食べ物やらがまわってきた。キムチと豚肉も来た。結婚式の余韻にひたりながら、出されたスルメなどを食べていると、またポンチャックが流れ始める。ところが今回は行きに聞いたものの倍速である。どうも運転席のカセットデッキはスピード調整ができるらしい。演歌ポンチャックが倍速スピードでけたたましくすっちゃかすっちゃかと鳴りつづける。しかもかなりの大音量である。何だろうとは思ったが、あとで思えば、こうやって徐々に場を盛り上げていたのである。 疲れたなあ、と思うと程よい頃にサービスエリアに入る。食事や飲み物を含め、すべてが絶妙にプログラムされていて、運転手も慣れているのだろうなあと考える。バスを降りる時にちらっと運転席を覗いてみたら、運転席の傍らには夥しい数のカセットテープ(たぶんポンチャックの)が山と積まれていた…。 皆が休憩を済ませバスに戻った頃、ひとりのおばさんがバスに乗り込んできた。おばさんといっても30代くらいのまだ若い人だ。何やらひとしきり演説をぶっているが、私にはさっぱりわからない。どうやら軟膏を売り込む口上のようだ。 物売りは私のところまで来た。隣に座っていたオンニは私のアトピーを心配してくれていたので、私の手を取っておばさんに見せ、こういうのはどうか、と聞いてみた。おばさんは、ああ、もうこういうのがぴったりなんです!絶対これで直ります、というようなことを(多分)言って、盛んにすすめてきた。へんなもの塗ってかぶれても誰にも文句も言えないので、もちろん断った。値段はいくらだったか忘れたが、もし買って使えなくても大して損したとも騙されたとも思わなくて済むくらいの値段だったと思う。 韓国というのは本当に津々浦々物売りが多い。道端にもずらりと物売りが野菜など広げて売っている。そうやってすぐ市場みたいなのができてしまうのだ。 バスは再び大音量のポンチャックと共に走り出した。ところがしばらくするとポンチャックが鳴り止み、今度は更に大音量のリズムボックスの音に切り替わった。リズムボックスといっても、カシオトーンについてる伴奏リズムのような、安っぽいスッチャスッチャいってるだけの代物である。それが大音量で、物凄いスピードで鳴りはじめたのだ。なにごと?と思っていると、バスの前列のほうからひとりのおばさんがマイクを持って立ちあがった。韓国語で威勢よく何やらまくしたてている。彼女はその顔立ちといい、話し方といい、立ち居振る舞いといい、「宮川大助・花子」の花子にそっくりである(メガネもかけている)。韓国語がほとんどわからない私でも見てて笑ってしまうほど、コメディアン体質の人だ。たぶん花子より面白い。これは一体、ただの市井の人なんだろうか?といぶかる。 どうやら彼女はバスの乗客に1人ずつ歌を歌え、と言っているらしい。ここからはのど自慢大会になるらしい。前の列からひとりずつ、手拍子したりはやし立てたりしながら、マイクを渡す。渡された人は大音響のリズムボックスに合わせて歌謡曲か演歌のようなものを歌い出す。それがみんな、異様に歌がうまいのだ。韓国人は歌がうまいとは常々思っていたが、これは全員、一人残らずうまい。例外は3列目に座っていた大おば様だけだ(私の母は何とか強要する花子をしりぞけられたようで、歌っていない。母も音痴である)。 花子はその押しの強さで、いやがる人も無理やりに歌わせていく。すると嫌がっていたにもかかわらず、その人は歌い出すとやはり異様にうまいのだ! これは韓国人というのは、一人残らず芸人なのではないか、と思い始める。リズムボックスの伴奏にはコードも乗っているが、そんなもの合わなくてもおかまいなしである。いったん歌い始めると彼らは自分の世界に没頭して、熱く歌い込む。ほんとうに全員がCD出してもおかしくないくらい、歌唱力がある。 以前、韓国ののど自慢番組を見たことがあるが、全員がうまかった。ただうまいだけでなく、感情がこもってて説得力があるのだ。日本ののど自慢番組とは雲泥の差だった。もしかして韓国人って、全員歌がうまいのでは、と思っていたが、今回それを確信してしまった(私とオンニはしぶる花子に懇願して、歌はかんべんしてもらった)。 ふと車窓から外を見ると、他の観光バスが私たちを追い越していった。何の気なしに見ていたら、その観光バスの中では人々が狂ったように踊っているのだった。中年の男性やら女性やらが、手を上に上げ、腰をくねくね振りながら踊り狂っている。座っている人は誰もいない。白昼夢のような光景だった。まさか1時間後にはこのバスでも同じ光景が繰り広げられることになろうとはその時は知らず、ただ大笑いしていただけだった。 次のサービスエリアでの休憩では、すいかがふるまわれた。バスの荷物入れからすいかを何玉も取り出し、その場で(サービスエリアのガレージで!)包丁で切り分けてみんなで食べた。私は韓国人のこういうところは好きだ。人の目とかあんまり気にしない。花嫁の母が私に「シウォネヨ」と言ってすいかを勧めた。シウォネヨ、とはすずしい、とか爽やかだ、という意味。ちなみにすいかは「スバッ」。なんとなく日本語と似てる。 バスに同乗していた花嫁の弟に、このにわかのど自慢大会について「いつもこうなのか」と尋ねてみた(彼はアメリカ滞在経験があり、多少英語ができる。ちなみに現在医学生。ああ、ハイソな家族……)。 再びバスは走り出した。花子はまだ歌い終わっていない最後尾の女性たちにも歌を強要していく。みんなきゃあきゃあ言いながらも、いったん歌い出せばやはり全員が芸達者だ。 全員にマイクが回り終わると、花子が何やら叫ぶ。リズムボックスの音がやんで、今度はポンチャックの約3倍速が超大音量で響き渡る。天井の赤やグリーンのライトが灯り、ミラーボールが回り始めた。ディスコというわけだ。おばさんたちが立ちあがって、熱狂的に踊り始める。花子は嫌がるおじさんの手を引っ張って、踊れと言う。いやがっていたおじさんは、立ちあがると、狂ったように激しく踊り始めた。おいおい、嫌なんと違うんか。 乗客はほとんどがおばさん、おじさんは3人だけである(男はもう一人、花嫁の弟がいるが)。そのおばさん達がみんなで上下に激しく揺れながら踊る(バスも上下に揺れていたはずだ)。踊るといってもとにかく激しい。まさに踊り狂い状態。韓国人が日本人と違うのはその腰だ。とにかくくねくねとよく動く。腰が入っている。手を阿波踊りのように頭上にかざし、腰をふりふり超高速ポンチャックに合わせて踊りまくる。ものすごいパワーだ。悪夢のようだ。さっき「嫌じゃないよ。面白いじゃん」と言ったことを後悔しはじめる。 何十分経っただろうか、外は日が暮れて暗くなりつつあった。突如、天井の両側の荷台の部分についている電飾(それまであるのも気づかなかった)が点滅し始めた。バスに電飾…。電飾はバスの最前列から最後尾のあたりまであり、赤に黄、緑、オレンジと色鮮やかにチカチカと点滅しながら走る。車内にはさっき配られたキムチの匂いが充満している。すっかり暗くなったバスの中で電飾がキラキラと光り、人々は一丸となって上下に揺れ続ける。一体これは何なんだ、とクラクラしてきた。これが韓国人のパワーなのか…。底知れないものを感じる…。 天にまします踊りの熱狂は2〜3時間くらい続いただろうか、もう気が遠くなってきた頃(ちなみに私は踊っていない)バスは再びサービスエリアへ。15分の休憩ののち、皆が席に戻ると、すっかりさっきの熱狂は静まっていた。この休憩が実に絶妙で、あれは偶然の熱狂ではなく、すべてはプログラムされたものだと再認識する。 静かにバスは走り出した。外は真っ暗だ。朝ソウルに向かう時は4時間ほどで来れたのだが、帰りは夕方のせいか、結局5時間半かかった。 しばらく走った頃、再び花子がマイクを持ち、今度は非常に静かに語り出した。「皆さん、もうすぐ到着します。今日は非常に素晴らしい日でした。○○さん(花嫁の母)のためにも、そして今日1日が無事に終わったことに対しても、みんなで祈りましょう」そう言って(もっと言ったが韓国語がわからない)「天にまします」の祈りを唱え始めると、バスの中は祈りの大合唱になった。 天にましますわれらの父よ そうして最後に花子は「カムサハムニダ」と言って、静かに座席に戻った。 こういうところは人々のあいだでキリスト教が実に有効に働いている部分だし、私も素直にすばらしいなと思う。私自身はあまり既存の宗教を信じるタイプではないけれど、こういう場面に出会うと、ちょっとうらやましくなったりもする。 あとで母親に「バスっていつでもああなのか」と聞いたところ、「いつでもああや。韓国人は、いつでもああなんや」とのことである。恐るべし韓国人。
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