花猫がゆく

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教会へゆく

家の向かいに教会がある

 大おば様の家の向かいには教会がある。というより、教会の向かいだから大おば様はここに住んでいるのかもしれない。それくらい大おば様は敬虔なクリスチャンだ。毎朝6時半(!)のミサにも欠かさず出かけている。

 教会と言っても日本にあるようなこじんまりしたものを想像してはいけない。国民の3分の1がキリスト教徒と言われる韓国、教会の組織も巨大である。

 この教会の広い敷地の中には、お御堂の他にも建物がいくつかある。その内のひとつは何と信用組合である(向こうの金融期間のあり方はよく知らないが、もしかして銀行と言っていいのかもしれない)。

 中にはカウンターがあって、受付には女子従業員がちゃんと銀行っぽい制服を着て座っている。奥には支店長らしきおじさんが座っていて、見たところ普通の銀行とそう変わりはない。ここが教会の組織だとは全くわからないくらいだ。大おば様のような敬虔なクリスチャンが、自らの信仰に従って定期預金などするわけだから、これは農協なんかよりずっと強力かもしれない。

 お客様としてソファに座っていると、女子従業員が飲み物を出してくれた。どろりとした麦芽飲料のような暖かい飲み物で、韓国人はよく飲むものらしい。きな粉みたいな何ともいえない味。なかなかうまい。

 教会では毎日ミサがある。朝6時半にもあるが、昼過ぎにもある。
 こんな平日の昼に誰がミサに来るのか、と思うが、これがけっこういっぱいいる。みんな仕事はしてるのだろうか?

 ふつう聖体拝領は神父がやるものだが、ここでは信者の数が多すぎて、シスターまで出てきてパンを配っている。聖体拝領はキリストの最後の晩餐を模したもので、男である神父がキリストの代理として行うものだ。シスターではまずかろうと思うが、ここではあんまり気にしないんだろう。ケンチャナヨ。

天使の声

 ある日夕食が済むと片付けもそこそこに、オンニが「歌の練習に行くが一緒に行くか」と私に聞いた。教会で聖歌の練習があるらしい。夜の8時半である。することもないのでついていくことにした。

 場所は徒歩1分の教会のお御堂。少し遅れて行くと、すでに練習は始まっていた。が、お御堂内に響き渡るその声は、とても街のコーラス隊というようなものではなく、完璧なハーモニーを奏でていた。物凄くレベルが高い。

 前でひとりのシスターが歌の指導をしていた。まだ若い、見たところ20歳代前半くらいの、とても清楚な感じの人だ。流れるような美しいソウル弁を話す。たぶん中央から派遣されてきたのだろう。ところどころで歌を止めては、自分よりずっと年上ばかりであろう人たちにてきぱきと指示を出す。

 この人が「こんな感じでね」といって歌い出すと、これがもう、とんでもない美声なのだ!ベル・カントなのだが、何とも言えず澄んだ声で、限りなく伸びてゆくような透明な声、まさに「天使の声」なのだった。

 韓国人の歌をほめてばかりいるようだが、庶民のソウルフルで感情移入甚だしい歌とは違って、これはまさに聖域の歌声。一体なぜこんなすごい人がこんな所でこんなことをしているのか、と私は口をぽかんと開けつつ、いぶかり続けた。きっと音大で声楽など専攻していた人が信仰生活に入ったんだろうな、こんな人にこんな草の根でこんなことさせるなんて、宗教ってすごいなあ、きっと静かな宗教生活送ってるんだろうなあ、なんて勝手に想像したりした。
 それにしても、もったいない!!

 聖歌の練習は予想外に厳しいものだった。まるで「特訓」という感じ。みんな実に真剣である。10曲くらい練習しただろうか、終わったのは10時。この練習を毎日やっているという。これはハードだ。なぜそこまで?と思ったが、後日わかったことには、約1週間後に「大キリスト教大会」(後述)を控えており、その晴れ舞台のための練習なのだった。

 あとでオンニに聞いたのだが(ちなみに彼女はアルト)、天使の声を持つシスターは、声楽専攻ではなく、ピアノ専攻だったそうだ。そのポテンシャル、恐るべし。

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