花猫がゆく

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巨大青空ミサ

「大会」とは?

 オンニ達の聖歌大特訓の成果を披露する日が来た。
 その日曜日は朝の6時に起こされて、会場のテグ郊外にあるカトリック系の大学に車で向かった。通常の日曜日は向かいの教会のミサに行くのだが、今日は特別な日ということで、大会場でのミサということらしかった。

 だがこの時点では私は何が行われるのかさっぱりわからず、ただ強権的な大おば様が日曜日にミサへ行かないのは絶対に許さないので、仕方なくついていっただけだった。オンニは「テフェ(大会)がある」と言っていたが、何しろ韓国語がよくわからないので、その内実は不明のままだった。

 母と大おば様はもっと朝早くにあるミサに出るということで、「大会」に出かけるのは私とオンニと、オンニの大学生の息子ソングッの3人である。ソングッが車を運転して出かけたのだが、途中でハルモニを一人ひろった。一緒に乗せていってやる約束だったらしい。
 ハルモニはチマチョゴリを着ていた。

教会のチマチョゴリ

 考えてみてほしい。日本でキリスト教信者が教会に行く時、着物を着るだろうか?日本ではとかく「イメージ」が大事である。西洋からきたキリスト教、白亜の教会、それに似つかわしいのはどうしても洋服だろうし、紋付きの着物を着ていく人は誰もいない。ところがこのハルモニは純白のチマチョゴリを着ている。白いチマチョゴリは韓国のフォーマルウェアである。

 ソウルでの結婚式は西洋式のセレモニーと儒教の儀式が、よく言えば渾然一体、はっきり言って「ごちゃまぜ」だった。韓国で聞く洋楽はほとんどが韓国語でのカバーバージョンだ。ソウルの近代的ビルの谷間に突如として泥臭い市が立つ。韓国人はそういうのが平気だ。

 日本人というのは「本格志向」だと思う。いったん良いと思えば上手にすべてを模倣し、朱に染まろうとする。いっぽう韓国人は、貪欲に何でもかんでも自分のスタイルに取り込んでしまう。食中毒を恐れずに何でも飲みこんでしまう。非常にたくましいのだ。

 ところで、「ひろったハルモニ」といえば、途中でもう一人ハルモニを拾った。田舎の道でハルモニが何とヒッチハイクをしていたのだ。山菜ひろいに来て帰るところなのだが、こっちの方向に行くなら乗せてくれ、ということだった。

 韓国に行った人は誰でも思うことだろうが、韓国人は実にフレンドリーで、初対面の人でも全く壁がない。まるで以前からの知り合いのように話すことができるのだ。このハルモニも車に同乗していた15分ほどの間、何の恐縮することもなくオンニ達と談笑し、気分よく「ありがとう」と言って降りていった。それが実に自然なのである。これも日本では考えられないことだろう。おばあさんがヒッチハイクして気よく乗せてやる若者ってあんまりいないだろうし、もし乗せてやったとしても、その間気まずくて仕方ない時間を過ごすことになるのではないだろうか。

 単に日本と比べて田舎なのかもしれない。山道で荷を引く馬車に「ついでに乗せてくれよー」ハルモニはそんな感じだった。日本でもかつてはそうだったのかもしれない。だとしたら、失くしたものは大きい。それに、韓国人はこの先も決してこの素朴さを失くさない、という気がする。

キリスト教大学

 「テグキリスト教大学」(正確な名前は忘れた)に到着して、まずその規模に驚いた。日本にもカトリック系の大学はあるが(プロテスタント系大学のほうがずっと多いが)これは規模の面で比較にならない。広大な敷地はまるで公園のようで、ガレージだけでも相当な広さがある、巨大な総合大学。改めて韓国におけるキリスト教の強さを思い知る。しかもカトリックだけでこれである。

 韓国でもカトリックよりプロテスタント人口のほうが多い。しかしプロテスタントは様々な教団に分かれているため、ローマ教皇を長とするひとつの教団としては、カトリックが最大の組織になる。この大学もでかいが、大おば様宅の向かいにある教会も、近所にあるカトリック系病院も、とにかくでかい。

 オンニは準備をするため先に建物の中に入り、私とソングッは別に会場に向かった。この時点でも私はこの「大会」の趣旨もわからず、何が行われるのかも知らなかった。キャンパスの中には様々な屋台が出ていて、まるで文化祭のようだ。

 ミサ会場は本館前の広場。本館棟には巨大な垂れ幕がかかっており、広場には数百人、もしかして千人以上の人々が既に集まっていた。多くの人が晴れ着のチマチョゴリを着ている。カラフルで韓国独特の色彩がお花畑のようにカラフルだ。

 ここではじめて、これは野外ミサなのだと気がついた。しかもこれだけの人々が集まって、まるでお祭りのような行事なのである。
 本部棟前の一段高くなった部分には大きな祭壇がしつらえてあり、建物に掛かった巨大垂れ幕には大きな字で(ハングルで)こう書かれていた。
 「第2地区 聖体大会」
 なんのことかよくわからないが、要するにこれは、テグの第2地区の信者と司祭が一同に集う大会、ということらしかった。テグには第4か5まで地区があり、このイベントはそのうちの第2地区の「決起大会」のようなものなのだった。第2地区だけでこの人数。改めて驚く。

 ミサが始まり、数十人の聖歌隊が入ってきて祭壇の近くに座った。その中にオンニもいた。全員おそろいの白いうわっぱり(?)を着ている。さすが完璧なハーモニーを奏でる聖歌隊も、この広さの中でしかも野外ということで、私たちのいる場所まではよく聞こえなかった。教会の建物は神父の声や聖歌が神々しく聞こえるように、声がよく響く構造になっている。野外ではちょっとつらいだろう。

 祭壇には神父がずらりと並んでいる(言っておくが、普通の教会のミサでは神父は一人である)。数えると17人か18人。神父がこれだけいると壮観である。恐らくこの「テグ第2地区」のすべての司祭が集まっているのだろう。第2地区だけでこれだけいるということは、テグ全体では100人近くの神父がいるということだろうか。そうすると韓国全体では一体…。信者もこれでこの地区の全員ということはあり得ないし、やはり韓国のキリスト教パワーはすごいなあ、などと考える。

 しかしそんなことを考えている余裕はなくなってきた。この日はガンガン照りの天気で凄まじく暑かった。会場の人々も日傘をさしながらのミサだった。
 この時は知らなかったが、テグはたいへん暑さの厳しいところであるらしく、夏は異常に気温が上がるらしい。まだ夏ではないが、広場のコンクリート地面の上で、じりじりと日干しになりそうな暑さだった。

巨大なパン

 ミサのハイライト、聖体拝領が始まった。
 結婚式の項でも書いたが、これは最後の晩餐を模した儀式で、キリスト役の司祭がパンとワインを「これは私の体、これは私の血」と宣言し、それを信者に配って食べるというものである。

 パンといっても、食パンとかではない。小麦粉だけで作ったような、真っ白で味のない、えびせんべいみたいに平べったい円盤状のドライフードだ。決しておいしいものではない。大きさは直径約3cmくらい。しかしこの野外ミサで司祭(17〜18人のうち、真ん中にいるひとり)が大きく掲げたのは、直径50cmくらいはあろうかという巨大パンだった。広い会場で遠くまでよく見えるようにということと、特別なイベントなので特別なパンをという配慮なのだろう。しかし私は「ああ、韓国人の『大きいもの好き』がこんなところにも」と苦笑してしまった。となりにいた若い女の子も「大きい!」と言って驚いていたので、やはり普通じゃないってことだろう。

 この宣言のあと、信者のひとりひとりにパンを配るわけだが、これが大変である。何しろこの人数。どうやってさばくのか?

 普通のミサでは司祭がひとりで一列に並んだ信者に配る。が、前にも書いたが大おば様宅の向かいの教会では、人数が多すぎるので信者が2列になり、シスターも一緒になって配っていた(キリストが弟子にパンを配る儀式なのだから、司祭が配らないと意味がないと思うが、そんなことはここではどうでもいいこと。とにかく人数がさばききれないほどいるのだから)。

 この野外ミサでは17〜18人いる神父が総動員である。信者は何列にも分かれて長蛇の列をつくる。物凄い混雑状態だ。それでも信者があまりにも多すぎて、何十分たっても終わらない。そりゃそうだ、千人はいようかという信者のひとりひとりにパンを配らないといけないのだから。しまいには神父のほうが歩いて信者に配って回る。普通は信者が歩いて順繰りになるのだが、それでは時間がかかりすぎるので、神父のほうが配って歩いているのだ。こんなのははじめて見た。日差しが物凄いので、神父の後ろにはチマチョゴリを着た女性が日傘をかざしてやりながら一緒について歩いていた。
 ちなみに、信者に配られたのは普通の大きさのパンだった。

暑い!!

 それにしても暑い。というわけで、だんだん私はイライラしてきた。
 一体こんな「大会」をすることに何の意味があるのか。しかもガンガン照りの野外で。日本のキリスト教はこんなことしないぞ。

 しきりに某教団の合同結婚式の風景が思い出された。あれだけの人数が一緒に結婚式をする(しかも野外で)のに何の意味があるだろうか。教義の内容には関係なく、ここでは何かにつけこういう発想なのだ。理由なんかない。とにかく無条件に「大会」が好きなのだ!
 暑さはひどくなるばかりで、私のイライラは怒りに変わってきた。「狂ってる!」と心の中で何度も叫んでいた。

 人々の中には鮮やかなチマチョゴリを着た若い女性がたくさんいたが、ミサの後半に彼女らが集金をして回っていたので、集金係だったことがわかった(集金自体は通常のミサでも行われる。教会への寄付を集めるためだ)。

 ここでは宗教が生きている、と思わせるのは、若い人の多さである。年配の人はもちろん多いが、高校生みたいのもいっぱいいる。子供を連れた若い夫婦もいる。20代くらいの若い女性も驚くほどたくさんいる。

 仏教でもキリスト教でも新興宗教でも何でもいいが、日本で宗教の集まりにこれだけ若い人が集まることがどれだけあるだろうか。集まる団体もあるだろうが、それはかなり「コア」な宗教生活をしてる人達だろうと思う。ここではキリスト教がコミュニティとして生きている。それは先だっての結婚式でも感じたことだ。

ミサのあと

 ミサが終わると参列者は三々五々散っていった。ミサ会場の広場では、例によっておばさん達の熱狂ダンス大会が繰り広げられていた。まったく、よくやるよ。

 敷地内では食べ物の屋台がたくさん出ていたので、私達もネンミョン(冷麺)を食べた。木陰になった芝生の上にビニールシートを広げて座り、まるでピクニック気分なのだった。木陰に入れば暑さもずいぶん和らいで快適だ。
 晴れ舞台を終えて戻ってきたオンニは、リュックからビニールシートや凍らせたお茶の水筒などを取りだした。さすがは完璧な嫁。ぬかりない。

 韓国人の母と息子の間には強い絆があると言われる。これは在日にもあてはまると思うが、密着度がかなり強いような気がするのだ。息子は母親をとにかく大事にする。息子が結婚したあとでもそれは続くので、韓国映画には「嫁をいびる姑」のイメージがよく出てくる(だから私はこっそり、韓国人の男とは結婚したくないなあ、などと思ったりしている)。

 オンニとソングッも仲がいい。オンニが若々しいこともあり、恋人同士に見える時があるくらいだ。ソングッが母親に逆らうことなど、まずないように思える。それにこれだけ母親がよくできていると、息子のほうはちょっとぼーっとした「いい子」になりがちだ。

 この野外ミサにもソングッは「アッシー」として同行している。一方娘のチミニのほうは、私が滞在している間、教会に行くのを見たことがない。日曜日に教会に行かないことは大おば様の逆鱗に触れるはずだ。それでも現代っ子チミニは言うことをきかないのだろう。ただし母親のオンニとは仲はいい。でも母と息子とのつながりとは、ちょっと違うように見えるのだ。

 ネンミョンを食べたあと、私たちは大おば様の娘(オンニの義姉妹)のミナを訪ねる予定になっていた。ミナは(なーんて呼び捨てにしてはいけないのだけど。儒教社会の韓国では、年上の女性はみんな「オンニ」と呼ばなくてはいけない)この大学の音楽科のピアノ教師をしている。「音楽館」と(ハングルで)書かれた建物の中にある自分の研究室で私たちを待っているはずだ。それについては次項にて。

(追記)
 「韓国のキリスト教」(東大出版会)によると、70年代にはビリー・グラハムの伝道集会や74年の大伝道集会「エクスプロ74」などに100万人が集まったという。1985年には韓国キリスト教100周年記念集会にやはり100万人が参加したという。やっぱり大会好き!

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